千代の富士からの伝言「なぜ出稽古で強い力士の胸を借りないのか」 (3ページ目)

  • 福留崇広●文 text by Fukutome Takahiro
  • photo by Kyodo News

 十両、幕内と番付を上げていく中で苦手な力士がいれば、相手のもとへ出稽古した。有名なのが琴風(現・尾車親方)との稽古だ。押し相撲が苦手だった平幕時代、琴風に5連敗するなど、まったく歯が立たなかった。以来、毎日のように琴風の佐渡ケ嶽部屋に日参した。琴風が別の部屋へ行けば、そこへ行き胸を合わせた。後年、尾車親方が当時の千代の富士をこう振り返った。

「今日はいないだろうと思っても必ずいる。今でいうストーカーみたいな感じかもしれない。でも、あそこまでやらないと横綱にはなれないんだなと思わせていただいた。あの執念はすさまじいものがありましたよ」

 結果、通算で22勝6敗と苦手の琴風を圧倒する対戦成績を残した。

 その姿勢は横綱に上り詰めてからも変わらなかった。小錦に惨敗した後、高砂部屋への出稽古を繰り返した。ターゲットはもちろん、小錦だ。当時、胸を貸す立場の横綱が他の部屋へ出稽古に行くこと自体、めずらしかった。横綱の誇りを捨てたともいえる行動。この問いに九重親方は間髪入れずにこう言った。

「自分が弱いんだから当たり前でしょ。横綱だろうが何だろうが勝てない相手がいれば、稽古して研究するのは当然。弱いから稽古する。どこがおかしいの」

 通算成績1045勝437敗。歴代2位の勝ち星ばかりが目に行くが、437敗という"不安"があったからこその大記録だった。

 加えて体調管理も怠らなかった。日本を代表するトップスター。宴席も今の横綱とは比較にならないほど数多かった。それでも常に体重チェックだけは欠かさなかったという。ベストは125~126kg。

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る