【レスリング】永田克彦「42歳での復帰とグレコローマンへの想い」 (4ページ目)

  • 永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro
  • photo by Tsukida Jun/AFLO SPORT

 以前8階級あった男子の枠は、次のリオ五輪では6階級に減らされており、永田が属する71㎏の選手たちは、リオを目指すとなった場合、66㎏級まで落とすか、75㎏級まで増やすか、その二択を迫られるわけだ。

 ちなみに永田自身も04年のアテネ五輪の際にその選択を迫られて74㎏級(当時)に階級変更をしている。結果は2戦2敗。メダル獲得はおろか予選突破すらならなかった。永田が当時を振り返る。

「国内ではまだよかったんですけど、世界に出たときに相手する外国人との5㎏の差はやっぱり大きかったです。69㎏でも自分は体をしっかり作り上げて出た階級だったので、そこからさらに5㎏増となると……。自分が上背のある選手だったらまた違ったんでしょうけど、このように背もなかったですし、骨格とか背丈からすると69㎏が限界でしたね。だから74㎏というのは僕の場合は適正な体重じゃなかったし、正直、無理があったのかもしれません」

 それでもあえて74㎏にチャレンジしたのは少年のときの記憶と憧れだった。

「僕自身が元々体を大きくする方が好きで、(体重を)落とすのはあまり考えなかったタイプですからね。昔から体の大きな人に憧れていたのもありましたし、小さいときからプロレスラーがすごいなと思っていた。どちらかというと体の大きい人に憧れていた部分が強くあったんです」

 さらに永田は言葉を続ける。

「2回目のオリンピックというのも当然大きかったと思います。シドニーで1回、69㎏級の銀メダルを獲りました。その中でもう一回やりたいとなったときに66㎏と74㎏のどちらを選ぶかとなったら、やっぱり上の階級を目指したかったんですよ」

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