東京五輪から51年。ガンと闘う「名花」ベラ・チャスラフスカ (3ページ目)

  • 長田渚左●文 text&photo by Osada Nagisa

 事前にチェコのプラハでチャスラフスカさんと会える日を調整していた。たまたま9月のシルバーウイークと重なった。欧州経由の航空機はどこも予約で満席だったが、幸いUAEアラブ首長国連邦のドバイ経由の便が確保できた。彼女から体調が分からないので、3日間はプラハに滞在する日程にしてほしいと言われていた。ところが、到着の翌朝には「午後4時にプラハ城が見えるブルタバ川沿いのカフェ・レストランに来てほしい」との連絡がきた。

 実際に会えることになり、新たな不安が募った。彼女は手術後も化学療法が続き、体重もかなり減ったと聞いていた。家から出て大丈夫なのか? カフェ・レストランまではどうやって来るのか? 車いすに乗っているのかも知れない。私が日本から来たことで、ひどく無理をさせてしまったのではないだろうか? さまざまな思いが駆け巡った。

 夏を思わせる日差しのカフェ・レストランのテラスで彼女を待った。ふいに少しハスキーな声が響いた。

 「オサダ!」。車いすではなく、スウェット姿に赤いスニーカーをはいたチャスラフスカさんが立っていた。別人のように痩せた彼女を抱き締めた。そして、すぐにDVDに編集した日本の友人たちからのビデオレターを、パソコン画面で再生して見せた。

 彼女は一人一人の名前を口にして画面に見入った。オリンピック5大会で体操の審判をした102歳の吉田夏さんが拳を振り上げて『頑張れベラ! 負けるなベラ!』と鼓舞する映像を見ると、同じ身ぶりで応えて、声を上げて喜んだ。

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