【大相撲】旭天鵬、引退。偉大な横綱たちを裏で育てた「先駆者」 (3ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 モンゴル人力士の第一期生として、旭天鵬が初土俵を踏んだのは、1992年の春場所(3月場所)のこと。モンゴル国内で行なわれた相撲トーナメント大会で好成績を残した旭鷲山ら6人とともに日本にやってきた。だが、旭天鵬は初土俵から数カ月後の8月、日本での過酷な力士生活に嫌気が差して、モンゴルに帰国してしまった。

 旭天鵬は、もはや相撲に関わる気はなかった。モンゴルで新たな道を模索していたが、翌9月、帰国したばかりの旭天鵬のもとに、当時の師匠である大島親方(元大関・旭國)がわざわざ説得に訪れた。その大島親方の懸命な誘いを受けて、旭天鵬はもう一度、相撲の道を歩んでいくことを決めた。

 それからは、懸命に稽古を重ねて、1996年春場所には十両に昇進した。メディアの注目は、旭天鵬より1年早く十両に昇進し、派手な技を繰り出す旭鷲山(1996年秋場所に入幕)に集中していたものの、旭天鵬も190cmという長身と、長い手足を生かして躍動。相手を右四つに組み止めて寄るという、オーソドックスなスタイルながら、安定感のある相撲を見せて、1999年夏場所には新入幕を果たした。

 幕内力士となった旭鷲山、旭天鵬の活躍ぶりは、モンゴルのテレビでもリアルタイムで放送された。そんなふたりに憧れて、その後、モンゴルから日本の相撲界に入門してきたのが、横綱まで上り詰めた、朝青龍白鵬日馬富士らである。

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