C・フルーム、ツール・ド・フランス制覇。勝敗を分けたものとは? (2ページ目)

  • 山口和幸●取材・文 text by Yamaguchi Kazuyuki  photo by AFLO

 第100回大会となった翌年の2013年、シーズン前から「ツール・ド・フランスでは僕がエースだ」と主張していたフルームに対し、ウィギンスは連覇に挑まず欠場した。その結果、フルームは圧倒的な強さでツールを初制覇。レース後、フルームはこう語っていた。「ケニアの未舗装路でマウンテンバイクを走らせていた少年時代から、今日ここまで上り詰めることができた。マイヨ・ジョーヌは人生を変える魔力を持つと誰もが言うが、僕はこれからも変わりたくない。これからもツール・ド・フランスにチャレンジすることを楽しみたい」。

 翌年、フルームの連覇が期待された2014年のツールは、波乱含みのレースとなった。この年はイギリスからの開幕だったが、第4ステージで落車して右手首を痛めてしまう。さらに翌日も、雨に濡れた舗装路で2度も落車。ついには手首を骨折し、リタイアすることになった。

 そして、雪辱を期して臨んだ2015年――。大会3日目、フルームが早くもマイヨ・ジョーヌを獲得したことで、総合優勝争いは一気に動き始めた。

「レースはまだパリまで続く。マイヨ・ジョーヌはパリで着用することに重要な意味があるんだ」

 翌日の第4ステージは、「北の地獄」と呼ばれる石畳を走るコース。フルームが落車骨折した2014年のコースと似ていて、ここで仕掛けたのが前年の覇者、イタリアのヴィンチェンツォ・ニーバリ(アスタナ・プロチーム)だった。2014年、ニーバリは石畳コースでライバルを蹴落として優位に立ち、フルームのリタイアもあって圧倒的な強さを見せて総合優勝をモノにしていた。

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