アマで15冠! 御嶽海が大相撲の土俵に上がる3つの理由 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

 しかし、最高の資格を得ても、当初はプロ入りする意向はなかった。アマチュア相撲の強豪、和歌山県庁への就職が内定していたのだ。「就職が決まっていたので、すごく悩みました」と語り、当初、父親の春男さんも角界入りには反対していた。

「親としては、安定したところへ行ってもらいたかった。プロだと先がどうなるかわかりませんから」と母親のマルガリータさんが明かす。翻意させたのは、出羽海親方(元幕内・小城ノ花)の熱い言葉だった。「部屋を再興したいので、力を貸して欲しい」。

 江戸時代末期に創設した出羽海部屋は、常陸山、千代の山、佐田の山ら角界で最多の9人の横綱を輩出、さらに3人の理事長を送り出した角界随一の名門部屋。しかし、ここ最近は、2010年5月場所で普天王(現・稲川親方)が幕下に陥落し、1898年5月場所から続いてきた関取が112年ぶりに途絶えるなど寂しい状況が続いていた。

 現在の師匠は、昨年2月に部屋を継承。昨年11月場所には、出羽疾風が新十両に昇進した。御嶽海に声をかけたのは、4年ぶりに関取が生まれ、名門再興への光が差そうとしていた、まさにその時だった。

 2月の入門会見で「親方に『出羽海を再興するにあたって私に力を貸して欲しい』と言われて、自分が力になれればと思った」と御嶽海は語り、反対していた両親にも「どうしてもプロに行きたい」と決意を告げた。「自分で決めた以上は、頑張って欲しい」とマルガリータさんもついに折れた。

 さらに、ふるさとを襲った災害も心にあった。昨年9月に御嶽山が噴火。噴火災害では戦後最悪の57人もの死者が出た。登山やスキーなどの観光が盛んな地元だが、噴火の影響で観光客は激減し、暗く沈んでしまっている。だからこそ「少しでも勇気づけたい」と決意。そんな思いをしこ名に表した。御嶽山と出羽海を合わせた「御嶽海」。名門再興とふるさとへ元気を届けたい、その意気込みを自らの看板とも言えるしこ名に込めたのだ。

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