2015.02.21

元祖・天才少女ジャンパー伊藤有希が再び開花するまで

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AP/AFLO

 だが伊藤は「イラシュコが飛ぶ前は『銅メダル』と思っていました。そうしたら色が変わって銀になったので『嬉しいな』と思ったけど、『別に泣くほどじゃないな』と思っていたら、葛西さんが泣いている姿が見えて......。葛西さんが泣くのを見るのはソチ五輪の時以来だから、ビックリして何かもらい泣きしそうになりました」と明るく笑う。

 ファルンへ入ってからの最初の公式練習だった18日は、髙梨が3本とも2位の飛距離を飛んでいたのに対し、伊藤の1本目は空中で前傾し過ぎてしまう癖がでて4番目の88mだった。だが2本目にはそれを修正して最長の95m、3本目は92mで4位という結果だった。

 そして、前日の予選の試技は強風で中止になり1本だけになったが、「葛西さんもジャンプ台にあまり慣れ過ぎないようにしていると言うけど、私も慣れてしまうと踏み切りギリギリまで待って、遅れてしまうタイプなので。今日はジャンプが1本キャンセルになったことをいい方に考えていこうと思っています」と不安がることもなかった。

 2位3回と3位2回を記録した昨シーズンと違って、今シーズンのW杯では、表彰台に上がれていない伊藤だったが、今大会は体調も含め最もいい状態に仕上がっていた。

 葛西や伊東大貴(雪印メグミルク)と同じ北海道下川町生まれの伊藤。父親の克彦さんはW杯に出場したことのある複合選手で、下川ジャンプ少年団や下川商業高校のコーチとして、伊東などを育てた人物。小さい頃からジャンプを始めた伊藤は小学6年で大倉山のラージヒルを飛んだ元祖・天才少女ジャンパー。12歳だった07年3月のコンチネンタル杯蔵王大会で、史上最年少表彰台を達成した時には"スーパー中学生"と呼ばれ、11年の同大会では初優勝も果たしていた。