【大相撲】初場所負け越しも、遠藤は着実に進化している

  • 福留崇広●文 text by Fukutome Takahiro
  • Photo by Kyodo News

 日大相撲部時代にはアマチュア横綱となり、国体も制した。卒業後、幕下10枚目格付け出しで、2013年3月場所にデビューし、わずか2場所で十両に昇進。新十両場所で優勝し、所要3場所と瞬(またた)く間に新入幕を果たした。甘いマスクもあって、久々に現れた日本人の新星として人気も急上昇。大きな期待と注目を集めたが、上位の壁は厚かった。

 さらには、追って逸ノ城(湊部屋)という怪物が出現し、存在感も薄くなった。昨年の11月場所(福岡)、番付は西前頭8枚目に落ちて、中日まで2勝5敗と負けが混んだが、そこから一気の8連勝で勝ち越して、初場所は何とか幕内上位に戻った。

 昨年の初場所後は「大関候補」という冠が付いたが、いまや「人気力士」に格が下がってしまった。再び大関候補と呼ばれる日が来るのか? 果たして遠藤は変わったのか? 新春の土俵で注がれた焦点は、まさにそこだった。

 変貌は初日から表れた。202kgの"怪物"関脇・逸ノ城を、立ち合いから豪快な突っ張りで一気に押し出したのだ。北の湖理事長は「この相撲でいい。こういう前に出る姿勢で取るなら、次へつながります」と評価した。

 6日目の横綱・白鵬との一番でも遠藤は前に攻めた。横綱の強烈な張り差しと、荒いかち上げを食らっても、ひるまず前に前に出た。敗れはしたが、ひたむきに攻めた内容に館内から大きな拍手が起きた。土俵際の粘りも増していた。9日目の栃ノ心戦。投げの打ち合いとなって土俵際で栃ノ心の右の下手投げをこらえて左から小手を打った。額から土俵に落ちて、左側を大きくすりむき出血したが、手をつかず顔から落ちる力士の基本を実践して白星をつかんだ。

 北の湖理事長ら協会幹部も認めるように、取り口が「変わった」遠藤。師匠の追手風親方は、その裏側に"変わらない"遠藤の哲学があったと明かす。

「あいつは、初土俵からこれまで一番も立ち合いで変わった相撲はないんです。変化すれば、勝てた相撲もあったかもしれません。でも、変わって勝ったって、先につながらないということを遠藤自身がわかっています。真っ向から勝負して負ければ、今、自分にどこが足りないのか。なぜ負けたのか、敗因がわかりますよね。去年、期待されて上位に負けて、確かに成績は残せませんでした。でも、一番たりとも変化しなかったことで、身をもって自分に足りないものを痛感した。その変わらない哲学が今、ようやく形になってきたんだと思います」

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