金メダリスト・冨田洋之が考える「美しい体操選手を育てる第一歩」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 だが、伸び盛りの選手は試合数を減らしすぎると、多くの修羅場を経験できないジレンマもある。個々の選手が自分の体調に合わせて休養を取れるように、試合日程をもう一度見つめ直す必要があると冨田氏はいう。

「育成という面では、10年ほど前からジュニアを海外に連れて行き、そこで経験を積ませた効果はあると思います。たとえば、世界大会では日本と違うメーカーの器具を使っているので、それにどう対応するかも選手の経験になります。いろいろな器具を試合で体感し、それに合わせた身体の動きができるようになるのも重要ですね」

 冨田氏もジュニアのころ、海外に連れて行ってもらって多くの試合を経験した。また、海外での他国との合同合宿では、新たな発見もあったという。ロシアでの合宿では、空中での感覚を鋭くするためにトランポリンを使って宙返りする彼らの姿勢を見て、大いに刺激になったと語る。

「ジュニアの強化は、ある程度の方向性が示せていると思います。しかし、『体操の普及』という面では、まだまだという気がします。体操を知ってもらう機会が増えれば、オリンピックを志(こころざ)す子どもも増えて、『ポスト内村』のような選手が出てくる可能性は高くなりますので」

 体操をテレビで見ている人の多くは、『自分にはとてもできない動きを選手たちはやっている』と思っているだろう。だが、冨田氏は現役時代から、難しいことだと思われないように演技することを心がけてきたという。練習をすればバック転もできるようになるんだよ、という認識を持ってもらいたいと。

「今の風潮は、なんでも『危険だから』という理由で子どもの遊びを制限する傾向にあるし、体操も危険なスポーツだと認識される可能性があります。だから、安全に体操のできる場所を多く増やすことが第一だと考えています。そして、その場所に足を運んでくれた子どもたちが、くるくると回ってみたいという衝撃にかられる環境を作りたいですね」

『体操は本当に身近なスポーツなんだ』という感覚を、より多くの人に持ってもらうこと――。それが今、冨田氏の目指していることだ。


【profile】
冨田洋之(とみた・ひろゆき)
1980年11月21日生まれ、大阪府出身。順天堂大学助教、体操競技部コーチ。8歳から体操を始め、2004年のアテネ五輪では日本チームのエースとして出場。団体総合で28年ぶりの金メダル獲得に大きく貢献する。翌年の世界選手権では日本人選手として31年ぶりとなる個人総合で優勝。北京五輪後に現役を引退。現在は国際体操連盟の技術委員としても活動している。

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