2014.10.31

田中理恵が語る東京五輪。「2020年はゴールではなく、スタート!」

  • スポルティーバ編集部●文 text by Sportiva

――その翌年、東京オリンピック招致団の一員となりましたが、どのような経緯で?

「日体大の理事長、学長という経由で依頼が来て......断われないと思いつつも、3回断わりました。スピーチが英語と聞いて(笑)。体操選手として、日の丸を背負うのと、招致委員会で背負うのは、また大きさが全然違うと思いましたし。ただ、一方でロンドン五輪後、燃え尽き症候群になりまして、体操を見るのも嫌だし、体育館に行くのも嫌という状態だった。目標がなくなって、何して生きていこうかと思っていた時の依頼でした。それが5月で、6月にはスイスでの総会で、英語でスピーチをしなければならないというスケジュールで。ホント、猛練習でした。そこで、繰り返しやっていた時、ふと体操に似ているな、と思ったんです。英語でしゃべっているのに、日本語としても自然と理解ができている。ああ、私、久しぶりに頑張っている、努力しているな、と。そこで、スイッチが入りました。気が付けば、手ぶりつきで、英語でスピーチしていました」

――そして、本番もうまく行ったと

「思えば、体操も審判に自分の表現をアピールしますよね。緊張感も嫌いじゃないし。そこは体操での経験が生きたかな、と。実際はスポットライトがまぶしくて、何も見えなかったのがよかったのかも(笑)。そして何より、(プレゼンテーション・トレーナーの)マーティン・ニューマンさんのおかげですね」

――9月のブエノスアイレスでは?

「私は記者会見では、英語でしゃべったんですけど。メインは最終プレゼン。みんなが必死にリハーサルをくり返しているのを見ていましたし、本番は泣きながら見てましたね。本当に練習どおりで、完璧でした。そして、(IOC)ロゲ会長が紙をひっくり返して『TOKYO』と見えた時、オリンピックで団体金メダルを獲ったときのようでした。まあ、金メダルを獲ったことはないんですけど(笑)。もう、誰とハグしたか覚えていません。歴史の1ページに自分がかかわれたというのも、最高にうれしかったです」

――あれから、1年が経ちました。いま、東京五輪をどのように考えていますか?

「向こうではみんなから、『おめでとう、おめでとう』と言われていたので、帰国しても同じかな、と思っていたら、『ありがとう』と言われるんです。『2回目をありがとう』とか、『あと6年、7年生きる力をもらった』という高齢の方もいらして。自分たち、いい仕事に携われたなと感謝しました。自分自身、25歳でロンドンオリンピックに出場し、スポーツの枠を越えたものを感じました。だから、選手にも同じような体験をしてもらいたいな、と思いますし、それを最高のコンディションで迎えられるようにしたいですね。だから、アスリートに近い立場として、どんどん選手の声を拾って伝えなければ、と思っています。

 あとはたくさんのイベントを通して、スポーツの楽しさ、素晴らしさを子供からおじいちゃん、おばあちゃんにも伝えていきたいな、と」

――田中さんはいろいろな国にも行かれています。日本の方のスポーツへの関心、取り組みについて、どう思われますか。

「1つになって熱くもなれるけど、冷めるのも早い気がしますね。だから、私は2020年で終わりではなく、むしろそこからスタートする、そんなオリンピックにしたいです。子どもたちが間近で選手を見る、『こういう選手になりたいな』『あの競技、始めたいな』と思ってほしい。最近の子供たち、ゲームばっかりじゃないですか。オリンピックをきっかけに、親子で走ったり、逆上がりの練習をしたり......体を動かす楽しさを知ってもらいたいです」

――今は組織委員会理事として、どんな活動をされていますか。

「会議に参加したり、JOC主催の体操教室で、幼稚園などを回っています。子供と同じ気持ちで向かっていきますよ(笑)。もちろん、私を体操選手として知らない子もいるわけですけど、『この先生と体操したら、楽しい』と思ってもらいたい。ちょっと回るコツを教えてあげて、子供たちがそれをできたときの顔、むっちゃかわいいんですよ。できたときの喜びを教えてあげたいな、と。体操教室は本当に楽しいですね。"体操競技"を教えるとなると、ちょっと怖い顔をしていると思います」

――最後に、2020年に向け、体操競技の未来は明かるいですか?

「男子は、どんどん下からも育っています。みんなが内村選手を目指していますから、美しい体操が浸透していくと思います。女子の強化も着々と進んでいます。ただ、女子は今の選手が東京へ、とは言えないんです。体型がどんどん変わっていきますから、1年1年が勝負なんですよ。ただ、今はちょっとずつ競技生活が長くなっています。『理恵さん、25歳まで頑張りましたよね』と、後に続く選手が増えているのはうれしいですね」

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