シャトルに夢を乗せて。アジアパラから始まる22歳の挑戦 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 吉村もと●写真 photo by Yoshimura Moto

 そんな豊田がバドミントンを始めたのは、小学4年の時。バドミントン経験者の母親が地元で立ちあげたジュニアチームに参加をした。中学校でもバドミントン部に所属したが、2年生までの成績は地区大会止まり。中学卒業後はラケットを置くつもりだった。だが、3年生で初めて県大会に出場すると、気持ちが変わった。「やっとの思いで出場したつもりだけど、もっと強い人がこんなにたくさんいるんだ」。1回戦で負けた悔しさが刺激となり、競技の続行を決めた。

 強くなりたいと、高校はあえて九州の中でも名門と言われる強豪校に入学。レギュラーにはなれなかったが、バドミントンに没頭する濃密な3年間を過ごした。現在は大学で福祉などを学び、地元の社会人クラブに所属しながら、一般の大会にも障がい者の大会にも出場している。

 実は、前述した昨年の世界選手権のわずか1カ月前にはスランプに陥っていた。日本選手権でのことだ。すべての試合に負けて、最下位と惨敗している。この時も、「もうラケットを握りたくない」と思うほどショックを受けた。そこから復活できたのは、一緒に練習している仲間たちの存在だった。

「この悔しさをバネにして頑張るしかない。勝って恩返しがしたい」と、より一層、勝利にこだわるようになった。

 来春の大学卒業後は、内定をもらったスポーツ用品の大手メーカーに就職する予定だ。6年後の東京パラリンピック出場が今の最大の目標。「しっかりと練習する環境を作っていきたいと思っています。頑張ります。次はかならず(勝つ)」

 今日の敗戦は、6年後に向けたスタートでもある。豊田は再び立ち上がり、シャトルを追う。

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