オシムとチャスラフスカはなぜ親日家になったのか―東京五輪を考える (2ページ目)

  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

――20年以上も書きたいという気持ちを持ち続けたというのは、チャスラフスカさんのどこに魅力を感じたからなのでしょう。

長田 日本のスポーツ選手は何も言わないんです。指導する人も「何も言うな、俺の言うことを聞け」と。そうやって何も言わないでスポーツだけに打ち込むのを良しとするという風土が根強くあり、それに対しておかしいんじゃないかとずっと思っていたんです。体罰問題なども根っこは同じだと思います。違うものには「違う」と言い、納得するまで聞く。もちろん敬意を持って尊敬する言い方もしなきゃいけないけど、わからないものはわからないと言って、わかったら進むというのが常識だろうと私は思っていました。そこに気づいてもらいたいという、というのがありました。

 チャスラフスカという人は優秀な体操選手でしたけど、それはそれとして、自分で物事を考えて、全てを敵に回しても自分の意志を通す。どんな目に遭っても自分を変えない。そこをなんとかして伝えたい。見ているとモハメド・アリ()とそっくりで、そこを聞きたくて何度も何度も会っていたんです。

※アメリカの元プロボクサー。60年ローマ五輪金メダリスト。ベトナム戦争への徴兵拒否や人種差別に対する発言で、当時のアメリカ政府や保守派と対立、ライセンス剥奪などさまざまな圧力を加えられながら、ヘビー級王者の座を守った。

木村 そういう意味では、単に彼女の言葉を日本語にトランスレートするのではなくて、ベラの所作とか思考を本当の意味で翻訳された書だなという気がしますね。

――チャフラフスカさんやオシムさんが想像を絶する境遇の中でも意志を貫けた原動力というのは何なのでしょう。

長田 自分のことを裏切ることはできないという信念ではないでしょうか。私は1個だけチェコ語を覚えたのですが、それは「オドバハ」という言葉なんです。勇気。勇気について聞かせてほしいと言ったら、ベラは「オドバハ、オドバハ......」とずっと考えた末に、「私はそれほど勇気なんかあるほうじゃない」と。漫画の主人公じゃないんだからそんなものは最初から持ってない、とケラケラ笑っていました。ただ、自分の目覚めが悪いことだけは絶対にできない、と。何かに直面しないと勇気というのは出にくいですよね。勇気で塗り固められているような人はいないのかもしれない。

木村 そういう奴は逆に暑苦しいですよね。オシムがよく言っていたのは、自分と対話するんだということです。自分と対話した時に、自分に対して嘘をつかないでいられるか。その作業が結果的に、一貫した行動につながったという言い方をします。でもベラを取材中、「なんでそんな質問をするの」という表情になったりしたこともあるんじゃないですか。

長田 多かったと思います。彼女はつい最近まで14年間、心の病になってしまって沈黙をしていました。どうしておかしくなってしまわれたのか。そのことを聞くと、うまく伝えられないというところで顔色が変わったと思うんです。離婚した夫と自分の息子との悲劇的な事件()というのと、その後の成熟していないマスコミとの対応でおかしくなってしまったという話を聞かせてくれるのかなと思ったら、唸って、「違う」と。60年のローマ五輪の時からずっと続いていたものの上に、最後に家族の悲劇が引き金になったという話になり、それは何度も聞きました。彼女も成熟して、今だったらこれくらいのことがあっても私は生きていける、ということを言っていました。ただ14年も沈黙して入院までして、そこからまた自分の力で表舞台に出てきたというのはこの人ならではだな、と。

※離婚した元夫と息子が、偶然出会ったディスコでもみ合いとなり、倒れた元夫が死亡した。

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