悲願達成。ツール・ド・フランス王者を支えた鉄壁の布陣 (2ページ目)

  • 山口和幸●取材・文 text by Yamaguchi Kazuyuki photo by Wada Yazuka

 ずっとイタリアのチームで走っていたニーバリは、イタリアの若手育成システムによって才能を開花させた。そして、2013年にはカザフスタンのアスタナに移籍。アスタナはもともと、カザフスタン自転車競技連盟の会長も務めるアフメトフ首相が、自国の英雄アレクサンドル・ビノクロフをツール・ド・フランスで総合優勝させるために結成したチームだ。そのチームへの移籍が、彼がさらにレベルアップしていくきっかけとなった。

 2012年のロンドン五輪を制したビノクロフは、ツールでは優勝をつかめないまま引退。そのまま監督としてアスタナに残り、ツール制覇の悲願を達成するためにニーバリが抜てきされたのだ。そして今回、その期待にニーバリは応えてみせた。メッシーナ海峡で育まれた情熱に、カザフスタンの用意周到な戦略が加わって、23日間をどう戦えば頂点に立てるかが計算し尽されていたといえる。

 各チームのシーズン戦略は、ジロとブエルタに参戦するパターンと、ツールに照準を合わせるパターンがあるが、今季のアスタナは、ジロをパスしてツールに乗り込んできていた。ニーバリの地元・イタリアでのジロ連覇を捨てたのである。2年前のツール・ド・フランスでは、ウィギンスとフルームという英国勢にしてやられただけに、その雪辱のための準備は万端だった。

 第2ステージでアタックしたのは「即興だった」と言いながら、「今日はカザフスタンの記念日で、そんな日に勝てたのだから、この栄冠はチームに捧げたい」とニーバリは言ってのけた。

 そんなエースを支えるアシストは鉄壁の布陣だった。同じイタリアのミケーレ・スカルポーニは2011ジロの総合優勝者。デンマークのヤコブ・フグルサングは他チームならエース格。ニーバリがひとたびマイヨジョーヌを獲得すると、他の8選手は総合成績を逆転されないようにライバルたちのアタックをつぶすため、ニーバリの位置する集団を引きまくった。ほとんどすべての選手の逃げに対して、アスタナはつぶしにかかる作戦で、それは今大会を通して徹底していた。

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