髙梨沙羅があるおばあちゃんに教えられた「ソチ五輪4位」の価値 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 気温、雪温ともにマイナス20度以下になった第4戦は、優勝はしたが2位のカロリナ・フォクト(ドイツ)とは0.6点差の僅差。冷え過ぎて体重の軽い髙梨はスキーが滑らなくなり、助走速度は通常なら時速1km程度しか負けてないフォクトに、1.9km/hも負けていたのだ。

 マイナス17~18度になった翌日は助走速度の差こそ縮めたが、助走姿勢の感覚を狂わせたのか1本目は6位。2本目には3位にあげることしかできなかった。

 次の札幌大会は雪が降る悪条件の中で連勝したが、寛也さんは「札幌のあたりから助走速度が遅くなっているのが気になっていた」と語っていた。その後の蔵王大会は強風で1本勝負になる中で勝利を重ねながらも、1月25日からのプラニッツァ大会では、2試合とも復活してきたダニエラ・イラシュコ(オーストリア)に飛距離で遅れをとった。

 ソチ五輪直前のW杯ヒンゼンバッハ大会(オーストリア)では再び連勝を重ねたが、助走の感覚のズレを完全に修正できた訳ではなかった。ソチ五輪の公式練習でも、寛也さんと毎日連絡をとって微調整を繰り返していた。

「100点満点のジャンプは年間に何本かしか出ないもの。沙羅の場合はこれまで、アベレージの高さで表彰台に上がっていたが、ソチでは上回る選手が3人いたということです」

 ソチ五輪の試合後、女子チームの小川和博チーフコーチはこう話した。ソチでの髙梨は、優勝争いをした選手たちより風の条件が悪かったのは確かだ。着地直前も強い追い風に背中を叩かれるような状態になり、テレマークを入れられなかったのが最大の敗因になった。

 W杯前半戦のように彼女のアベレージがほかの選手を一歩以上上回っている状況なら、その程度の悪条件でも結果を出せたと思えるが、好成績が続いたがゆえに周囲の髙梨に対する期待が高まり、本人も「勝たなければいけない」という精神状態になっていたのだろう。

 そのために出てきてしまった微妙な狂いを修正しきれなくてアベレージをあげられず、他の選手を半歩ほど上回るくらいの状態にしかできなかったのだ。そのため悪条件の影響を大きく受けて、僅差でメダルを逃す、という結果になってしまった。

 父親の寛也さんは試合前にこう話していた。「これまでのW杯の成績をみれば金メダルだと言われるのも仕方ないけど、実際には相手がいるし試合当日の条件がどうなるかもわからない。体格的に恵まれているわけではないから、『いい条件が全部当たればいいね』と話しているくらいです」

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