髙梨沙羅のライバルになれるか。ソチ五輪は伊藤有希の活躍にも注目。 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO SPORT

 そんな伊藤がジャンプを始めたのは4歳のとき。北海道下川町で教育委員会の職員としてジャンプ少年団や下川商業高校で父・克彦さんが指導していたからだった。

小学6年の06年にシニアの大会にも出場して大倉山ジャンプ台を飛び、日本女子ラージヒル最年少飛行記録を塗り替えた。中1の07年には蔵王と札幌宮の森で行なわれたコンチネンタル杯4連戦に出場すると、蔵王初日の17位から始まり、2日目は5位、札幌の初日は4位に入った。そして徐々に調子を上げてきた結果、札幌2日目には3位で表彰台に上がり、日本女子ジャンプの新星と注目された。

 その後は海外遠征もしたが、追い風のジャンプ台になかなか対応出来ずに苦しんだ。09年の夏のコンチネンタル杯では総合10位になり、翌年の夏も、突然出てきた高梨に引っ張られるようコンチネンタル杯総合で5位になったが、追い風が多くなる冬は苦戦していた。

13年2月の世界選手権の混合団体で金メダルを獲得した時も、一番手で出場して2本ともグループ8位のジャンプ。優勝が決まった瞬間は「メダルを獲れるかどうかのカギは私だとわかっていたのにミスをして。次の大貴兄ちゃんが大ジャンプをしてくれて。みんなに助けられました」と、涙をボロボロ流し、下川町出身で父の教え子でも有る伊東大貴を照れさせていたのだ。

 昨年春には葛西紀明が監督を務める土屋ホームに入り、チームのフィンランド合宿に参加するなど少しずつ力をつけてきた。

 今季の女子W杯初戦だった12月頭のリレハンメル大会では混合団体を行ない、1本目こそグループ6位だったが、2本目には2位の96.5mを飛んで日本の優勝を決定付けた。この大会ではやや不調だった2番手の伊東を助ける形になった。

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