【月刊・白鵬】横綱も絶賛する、日本の「お・も・て・な・し」 (2ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 結局、「故意ではない」と判断されて、私の4場所連続27回目の優勝が決まりました。ホッとする一方で、流血の痛みを覚えつつ、稀勢の里が確実に力をつけていることを実感しましたね。

 力をつけていると言えば、11勝を挙げて、殊勲賞を受賞した豪栄道もそうでした。以前にも、このコラムで「期待の力士」として名前を挙げましたが、ますます成長し、大関に最も近い存在と言えるでしょう。

 本人も「大関を狙う」と宣言している、という話を聞きました。そうした前向きで、強気な姿勢が、彼の長所です。それを武器にして、今後のさらなる飛躍を期待したいと思います。

 さて、稀勢の里を破って優勝を決めたあと、支度部屋に戻って鏡を見てみると、左の眉の上がザックリと切れていることがわかりました。報道陣に囲まれて、そのときは「男前が台無しになっちゃったな(笑)」などと冗談を飛ばしていたのですが、次の日になると、腫(は)れが引くどころか、目の周りがまるでパンダのように真っ黒になっていました。視界が狭くなって、日常のちょっとしたことをするのも大変でした。

 その際、頭に浮かんだのは、私の尊敬する双葉山関のことでした。双葉山関は、現役時代に右目がほとんど見えないことを隠し通して、69連勝という大記録を打ち立てました。その偉業を思い出して、私はまだ双葉山関の足もとにも及ばないな、と改めて痛感させられました。

 とはいえ、今場所もさまざまな試練を乗り越えて、優勝することができました。千秋楽を終えて飲んだお酒の味は、格別でしたね。さらに場所前に、2020年の五輪開催地が東京に決まったことも、お酒の味を一層引き立ててくれました。

 私の父は、レスリングのモンゴル代表選手として、1964年の東京五輪に参加していて、続く1968年のメキシコ五輪では、モンゴルで最初のメダリスト(銀メダル)に輝きました。そのため、私は幼い頃から「五輪」という舞台に憧れていました。日本に来て、大相撲の世界に入っていなければ、故郷のモンゴルでレスリングのメダリストを目指していたと思います。

 五輪にはそれほどの思い入れがあるので、日本で開催されることが決まって、心底うれしかったです。大相撲は競技種目にはなっていませんが、私はそのときまで現役でいたいと思いました。それが、新たな目標であり、夢になりましたね。

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