五輪招致成功の要因は何だったのか?東京圧勝の舞台裏 (2ページ目)

  • 松瀬学●取材・文 text by Matsuse Manabu
  • photo by AP/AFLO,YUTAKA/AFLO SPORT

 この東京優位の数字の根拠は、「今までの蓄積」(猪瀬直樹・東京都知事)だった。国際陸上連盟(IAAF)のラミン・ディアックIOC委員(セネガル)と友好関係を築いたことで、アフリカ大陸のIOC票(12票)をほとんどおさえる見通しがついていた。

喜びを爆発させる竹田JOC会長ら招致委員のメンバーたち喜びを爆発させる竹田JOC会長ら招致委員のメンバーたち さらには次期会長の最有力候補のトーマス・バッハ(ドイツ)の支援もとりつけたことで、ライバルの大票田(44票)であるヨーロッパ票も切り崩した。このほか、オセアニアの6票をほぼ確保し、苦戦必至だったアジアの票(22票=投票権のない竹田会長を除く)も傷口を広げずに済むことになった。

 1回目の得票は予定どおりの、「42票」だった。ただ、最終結果が出るまで、途中で得票数はわからない。ここでイスタンブールとマドリードが同数の26票となり、決選投票への進出をかけたタイブレークが実施されイスタンブールが競り勝つ。有力候補のマドリードが1回目で落ちることになった。

 最後は50票近くまで票を伸ばして競り勝つストーリーだった。招致委の水野正人専務理事が思い出す。

「最後の最後まで勝つとは思えなかった。最初の投票で東京がトップで抜けたのはいいけれど、(マドリードとイスタンブールの)同数というのが、30くらいかなと思っていた。そうすると、決選投票はどうなるかわからなくなる」

 だが、実際の票数はもっと少なかった。なぜ追い風が吹いていたのに、マドリードが減速したのか。あるIOC委員は「おごりに反感を抱いた」と説明してくれた。最終プレゼンテーションで長年会長を務めていた故サマランチ会長をアピールしたのも逆効果になったようだ。つまりは戦略ミスだった。

 決選投票は、東京60、イスタンブール36だった。予想外の圧勝である。マドリード敗退後の票の囲い込みの戦略がよかったからだった。東京招致委としては、森喜朗元首相らが中南米を訪問し、IOC委員との信頼関係を築いていたことも奏功した。

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