【カーリング】市川美余&藤澤五月が明かす「女王・中部電力の秘密」 (4ページ目)

  • 竹田聡一郎●インタビュー interview by Takeda Soichiro
  • 小内慎司●撮影 photo by Kouchi Shinji

――その経験を生かすのが、まもなく始まる五輪出場権を賭けた戦いになると思います。その第一関門が、世界最終予選日本代表決定戦です。

藤澤 まずは、勝つこと。それが、すべてです。"五輪"という大きな目標を考えると通過点ですから。チーム全体のレベルを確実に上げていきながら、常にその先の五輪を見据えて、厳しい姿勢でやっていきたいと思います。

――まさに「女王」として挑む大会ですが、日本における戦いでも、ここまで来るのは大変な道のりだったと思います。中部電力が初めて出場した日本選手権(2010年3月)の頃は、チーム青森が圧倒的な存在でした。

藤澤 チーム青森の選手たちとは、ジュニアの頃に対戦したことがなくて、正直、安易に「勝てるんじゃないかな」と思っていました。でも、(2010年の)日本選手権で初めて対戦して「あっ、これは簡単には勝たせてもらえないぞ」と、痛感させられました(チーム青森=優勝、中部電力=3位)。それからは、「絶対に(チーム青森)を超えてやる!」という対抗心が強くなりました。

――そして、その翌年(2011年2月)、すかさず日本選手権でチーム青森を下して、初の日本一に輝きました。

市川 ただ、あのときはチーム青森のメンバーが変わって(2010年バンクーバー五輪で主力だった目黒萌絵、本橋麻里が脱退)、運よくうちがポンッと優勝できた感覚でした。その翌年(2012年2月)の日本選手権も、(ライバルとなる)各チームが結成したばかりという状況で、うちにとってはラッキーな面がありました。そういう意味では、今年(2013年2月)の日本選手権こそ、どのチームも成熟してきていて「ここからが本当の戦いだ」と思っていました。そしてそこで、優勝できた。過去2年は「女王」と呼んでもらっても、そこまで実感はなかったのですが、本当の意味で日本一になれた、といううれしさが今年はありましたね。

藤澤 私は2度目の優勝も大きかったと思います。というのも、そのときは中国で行なわれたパシフィック選手権(2011年11月)で惨敗した(4カ国中4位で世界選手権の出場も逃す)あとだったんです。個人的には(精神的にも)どん底の状態で、「カーリングって、なんて難しいんだろう」と思っていました。

市川(チームが)いちばん負けることに向き合っていた時期でした。それまでは、順調に成長して結果も出してきていたのに、あのパシフィック選手権では、まったく勝てませんでしたからね(8戦2勝)。なんで勝てないのか、みんなで真剣に考えていました。でも、そういう機会を経て、今がある。(世界最終予選)代表決定戦は、日本選手権で3連覇を果たしている立場として、負けられないと思っています。

――第一関門を突破すれば、12月に行なわれる世界最終予選が最終関門となります。

市川 世界最終予選の(ライバルと目される)ドイツ、中国には世界選手権で勝っているので、自信を持って試合に臨みたいと思いますが、チャレンジャーの気持ちも常に忘れないようにして戦いたい。そして、2位以内に必ず入りたいです。

藤澤 世界選手権に出場して、とにかく勝つこと、どんなにカッコ悪くても、調子が悪くても、勝つことの大切さを知りました。世界の舞台では、海外の選手と比べて体が小さいので、相手チームに「ジュニアチーム?」と見られて、なめられることも少なくありませんが、強いチームの雰囲気やオーラに負けないで、しっかりと目標(五輪出場権の獲得)を達成したいと思います。そして、五輪に向けて、自分たちも"魅せる"カーリングを身につけたい。個人的には、世界で通用するスキップになるまで自分を鍛えていきたい。

――五輪切符を手にすることを祈っています。ありがとうございました。

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