【月刊・白鵬】優勝「25回」という数字にこだわってきたワケ (2ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 だからこそ、この夏場所前には、非常に気合が入っていました。それに、2011年の秋場所(9月場所)以来、東京場所での優勝から遠ざかっていたので、相撲の本場"江戸"で優勝をしたい、という思いもかなり強かったですね。

 もちろん、それは決して簡単なことではないことも自覚していました。というのも、場所前から、大関・稀勢の里や鶴竜らの好調ぶりが伝わってきていたからです。

 稀勢の里は、亡くなられた前の師匠(元横綱・隆の里)の方針で、これまでは出稽古に行くことをしなかったのですが、夏場所前にはついに出稽古を敢行。精力的に稽古に励む姿勢は、大きな変化だと思いました。鶴竜も激しい稽古をこなしていました。同じ井筒部屋に所属する36代木村庄之助親方が夏場所限りで定年を迎えるため、「初優勝を捧げたい」と、相当意気込んでいるらしいという話を聞いていました。

 実際、大関陣の好調さは、土俵上でも顕著に現れました。5日目までに2敗を喫した横綱・日馬富士を尻目に、稀勢の里、鶴竜、琴奨菊、琴欧洲の4大関は、初日から4連勝。稀勢の里と鶴竜は、前評判どおりの強さで8連勝を飾りました。

 その後は、鶴竜が9日目に初黒星を喫して後退。一方の稀勢の里は、12日目に日馬富士を下し、13日目には鶴竜を撃破。優勝争いは、全勝の私と稀勢の里に絞られました。

 ここ数年にわたって、稀勢の里は待望の「日本人横綱」誕生への期待をかけられてきました。これまでは、その可能性が近づく度にチャンスを逃してきましたが、ここで優勝すれば、横綱昇進の現実味は次の場所でグッと近づいてきます。相撲ファンの期待は、日増しに膨れ上がっていました。

 迎えた14日目。私と稀勢の里の全勝対決が組まれました。満員の両国国技館の観客のボルテージは最高潮に達していました。

「負けるわけにはいかない!」

 私の気持ちは、それだけでした。かつて、稀勢の里には連勝記録を止められたり、"ここぞ"というときに苦杯を舐めさせられたりしましたが、その悔しさよりも、何より横綱としての意地を見せなければいけないと思っていました。

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