為末大も提言。「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」の意義と未来 (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko

 シンポジウムでは元川崎フロンターレ(現在はFC琉球)の我那覇和樹選手のドーピング冤罪を晴らすのに尽力した遠藤利明衆議院議員、望月浩一郎弁護士も参加。

 望月弁護士は体罰における具体的なデータを示しながら「暴力で服従させ、緊張を強いることで競技能力が上がるということはない。怖い指導者の指示を待つのではなく、自分で判断できる選手を育てることこそが重要」と強調した。

 スポーツ界では「今の俺があるのはあのときの酷いシゴキを耐えられたから」という悪しき経験主義が未だに跋扈(ばっこ)するが、そんなときはいつも、イビツァ・オシムの言葉を思い出す。

「(自分が経験した)戦争から監督としての胆力や決断力を学んだなどと言えば戦争が必要なものになってしまう。だから、たとえそんな部分があったとしても学んだとは絶対に言わない」

 自分がされて度し難かった暴力を「俺の若い頃は、」と自慢するのではなく、後進にはしない。才能がありながら、暴力によって消えていったあの選手が今いれば、と考える想像力や理性こそが、強化、育成、もちろん普及にも必要とされるはずである。

 このシンポジウムでは、アスリート出身のパネラーとして福井烈(テニス)、ヨーコ・ゼッターランド(バレーボール)、米倉加奈子(バドミントン)が現場から発言した。

 ヨーコ・ゼッターランドは涙で声を詰まらせながら、「かつて、相手チームにコップ酒を飲みながら指導していた監督がいて、ミスをした選手を投げ飛ばし、顔を踏みつけていました。選手はトレーンングならばどんなきつい練習にも耐える覚悟がある。理不尽な暴力は不要」と訴えた。

 米倉は「メリーゴーランドといって、選手の髪の毛をつかんで振り回す体罰があったし、心理学を選考したコーチが、『最も効く罰則』として一選手に対してチーム揃っての無視を奨励したこともあった」

 早稲田大学の友添秀則教授が座長となって作成された「暴力行為根絶宣言」には、会場にいたテレビ朝日の宮嶋泰子アナウンサーから、「私は実際に取材現場で数多く、男性指導者によるセクシャル・ハラスメントを見てきた。セクハラ根絶という文言をぜひ加えて欲しい」との声が上がり、修正加筆されることが決まった。

 5団体が足並みを揃えて宣言を採択したことは、暴力を容認してきた実態に向き合ったという点からも画期的であり、この宣言が日本のスポーツ史の楔(くさび)となることを切に願う。一方で、記者会見で私はひとつだけ気にかかったことを質問した。

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