【月刊・白鵬】尊敬する大鵬さんからもらった心揺さぶるメッセージ

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 私の「白鵬」という四股名は、そんな憧れの大鵬さんから「鵬」の字をいただいています。私が入門したとき、色が白かったこと、白星に恵まれてほしいとの思いから、師匠(宮城野親方)が付けてくれたのですが、実は大鵬さんと柏戸関が築いた「柏鵬(はくほう)時代」という呼称に由来しているのです。

 入門当時、体重が70kgそこそこで、序ノ口で負け越すような私にとって、その名はとても重かったです。しかし「いつか大鵬さんのような力士になりたい」という思いが、私の心の中には常にあって、いちばんの目標でした。

 そして、その信念をずっと持ち続けて稽古に励みました。結果、幕内に昇進し、大関に上がって、2007年5月、ついに第69代横綱に推挙されました。

 その際、私は真っ先に大鵬さんのもとに向かいました。大鵬さんが描く横綱像について、直接話をうかがいたいと思ったからです。緊張する私に、大鵬さんはこう言いました。

「横綱というものは、勝たなければいけない。勝てなければ、引退しかないんだよ」

 横綱に昇進したばかりの私にとって、その言葉は胸に強く突き刺さりました。かなりの衝撃を受けたことを、今でも覚えています。優勝32回。横綱を10年間務められてきた大鵬さんが、どれだけの責任感を持って横綱を張ってきたのか、身にしみる言葉でもありました。

 横綱になった方というのは、自分なりの横綱像があるため、後輩横綱にアドバイスを授けるなどいうことはほとんどないと聞きます。それほど、横綱は孤独なのです。

 でも、私はそれから、度々大鵬さんのところへ出向いてお話をさせていただきました。私を息子のように思ってくださっていたからでしょう、大鵬さんはいつも優しく、さまざまなアドバイスをしてくれました。

 結果的に最期になってしまった病室で、大鵬さんが私に言ってくれた「しっかりやれよ」という言葉は、今、私の中にずっしりと残っています。大鵬さんは、まさに私の"相撲の父"でした。

 2月11日にはファンの方が集まって、国技館で大鵬さんを偲ぶ「お別れの会」が行なわれました。数千人にものぼるファンの方が集まったと聞いています。改めて、大鵬さんの偉大さを知らされました。

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