2013.02.14

選手を五輪に送り出せるのか。テコンドー分裂問題の今

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko photo by Yamamoto Raita,AFLO SPORT,AFLO

 これらの事態を重く見たJOCは2002年8月、翌月の釜山でのアジア大会への選手派遣を中止してしまう。シドニーの銅メダリスト岡本は、まずここで出場権を剥奪されることとなる。団体のメンツが優先されて何の罪もないアスリートの貴重な現役時間を奪ってしまう事態に陥ったのだが、アテネまでのその後の1年半も、ふたつの組織は統一に二の足を踏んでいた。

 JOCは当初、統一期限を2004年3月31日と区切っていた。この直前、岡本の肉親や友人は署名活動に奔走した。大阪梅田駅前、古川橋、新宿アルタ前……。すると10日間で9万5千人の署名が集まり、4月1日にJOCに署名を提出。マイナー競技であったテコンドーであるが、こういった活動が奏功し、世論が動いた。JOCは期限を4月28日まで延期し、小泉純一郎首相、河村健夫文科大臣(当時)もこの問題について発言をするに至った。

 そして、ついにJOCは再考。五輪憲章では国内に競技団体が存在しない場合の個人エントリーを認めていることから、日本のテコンドー界には競技団体が存在していないという超法規的解釈を下し、4月5日の幹部会で「個人参加」という特例を設けて五輪出場を承認したのであった。

 しかし、この個人エントリーは政情が不安定な発展途上国や戦争が起きている国など、実際に団体を組織できない国の選手の救済を目的に考案された制度であり、前回大会でメダリストを出している国でありながら、これを適用したことで、根本から理念を曲げてしまったことになる。

 この岡本の去就がいかに関心事であったか。ちょうどテレビの番組改編期にあたり、『ニュースステーション』の後番組としてスタートした古舘伊知郎の『報道ステーション』が最初に伝えたのが、まさにこの問題であり、「JOCがついに折れました」という古舘のひと言があった。

 今回、JOCにあらためて個人エントリーの解釈に決まった当時の経緯についての取材を申し込んだところ、「当時発表されたものがJOCとしての見解になります」という、木でハナをくくったような回答であった。実際、8年以上前のことであるが、混乱を収束に向かわせた経緯を蓄積させておくことは再発防止の観点からも重要であるはずなのだが。

続く>


シリーズ 『スポーツ紛争地図』

関連記事