【月刊・白鵬】新横綱・日馬富士に刺激され、改めて高まる「優勝」への思い (2ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 序ノ口のときから、安馬(日馬富士の当時の四股名)は群を抜いて強かったですね。体はかなり細かったけれども、やる気がみなぎっていました。「上を狙ってやろう!」という意欲で目が輝いていました。そのあたりは、先輩の横綱・朝青龍関譲りというか、闘志を前面に出した相撲っぷりは目立っていたものです。

 前述したとおり、彼とは入門が一場所違いでしょう。嫌でもお互いの番付や動向が気になるわけですよ。

 例えば、2003年の九州場所、私は幕下9枚目で6勝を挙げました。普通なら、この地位で6番の白星では十両昇進は無理な話なのですが、翌年初場所(1月場所)から十両力士の人数が増えることなどラッキーな出来事が重なって、初場所、私は新十両に昇進しました。実はその場所で、安馬は幕下筆頭ながら3勝4敗と負け越して十両昇進を逃しています。番付運の良さがあったとしても、「後輩」の私がひと足早く十両に昇進したことは、安馬の負けん気に火をつけたのでしょう。安馬は次の初場所ではきっちり勝ち越して、春場所(3月場所)で新十両昇進を果たしました。

 以来、お互いの動向を気にしながら常に切磋琢磨してきたように思います。番付では私がリードしていたものの、安馬が大関に昇進して日馬富士と改名してからは、早く上(横綱)に上がってほしいと願っていました。朝青龍関が引退してからは、特にその思いが強かったですね。

 日馬富士が何度か綱取りのチャンスを逃し、正直「把瑠都のほうが横綱に近いんじゃないか?」と思うこともありました。けれども、最終的に重要なのは"気持ち"なんですね。やる気、つまり横綱に上がろうという強い気持ちを持ち続ける者が、綱を張れるんです。日馬富士がまさにそうでした。そういう意味でも、リスペクトすべき力士だと思いますし、これから2人で競い合っていけることはうれしいことです。

 さて、九州場所前の秋巡業は、全部で12カ所を回る、久しぶりに長期間の巡業となりました。富山、静岡、徳島、小豆島......、そして最後は山口の宇部と、移動距離も長かったですが、平日、休日にかかわらず、すべての巡業地にたくさんのお客様が駆けつけてくれて、本当にうれしかったです。

 新横綱が誕生したことは、大きな後押しになりました。何より、東西に横綱がそろって土俵入りをお見せできますからね。拍手もこれまで以上に大きかったように感じました。

 そして、朝稽古のときも、私ひとりではなく、日馬富士も一緒に若い力士の稽古に目を光らせることで、稽古もピリッとしたのではないかと思います。ただ、巡業全体を通して改めて残念に思ったのは、大関陣の稽古量の少なさです。故障などの事情で土俵に上がれなくても、土俵周りで体を動かすとか、他の力士の相撲を研究するとか、やるべきことはたくさんあるはずなんですが......。

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