【大相撲】横綱・日馬富士。「最軽量」力士に飛躍をもたらした3つの転機 (2ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 2001年1月、16歳で初土俵を踏んだ日馬富士(当時・安馬)は、身長180cm、体重86kgと華奢だった。伊勢ヶ濱親方(当時・安治川親方=元横綱・旭富士)が、その身体能力にほれ込んでモンゴルでスカウトした"サラブレッド"は、力士としてはあまりにも細かった。それでも安馬は、闘志では誰にも負けなかった。その負けん気の強さを武器に序ノ口で優勝すると、翌年の春場所(3月場所)では三段目で優勝し、すぐに頭角を現した。

 そんな安馬の目線の先で、当時日の出の勢いで出世していたのが、関脇・朝青龍だった。スピード感あふれる相撲とたぐいまれな闘争心で、横綱、大関を次々になぎ倒していく姿に安馬は目を奪われた。

 朝青龍関のような力士になりたい――。安馬の中で、明確な目標ができた。最初の転機だった。

 一方の朝青龍も、まるで入門当初の自分を見るかのような細身の安馬を可愛がって、アドバイスを送り続けた。
「とにかく、体を大きくしろ。(体重が)100kgになれば、おまえは関取になれるぞ!」

 安馬にとって、体重増は最大の課題だったが、朝青龍に叱咤激励されて、食べることへの努力を重ねた。さらに、初土俵が一場所後輩で、入門時は安馬同様に細かった白鵬が見る見るうちに大きくなっていた。

「白鵬にだってできるんだ。とにかく目いっぱい食べよう」と、"ライバル"の成長を目の当たりにした安馬は一層奮起。徐々に体重を増やしていった。そして、体重が110kgになると、白鵬にこそ一場所遅れを取ったものの、2004年春場所で新十両に昇進した。

 しかしその後、安馬の体重が劇的に増えることはなかった。結果、幕内上位、三役をうろうろするばかり。十両昇進までの勢いは失せていた。

そんな安馬を尻目に、"ライバル"のはずだった白鵬は、あっという間に横綱昇進を果たした。そのうえ、"兄貴分"である朝青龍には、かつての勢いが見られなくなってきていた。

「僕はこのままでいいのだろうか?」
安馬は停滞する自らに自問した。2度目の転機の訪れだった。

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