【重量挙げ】三宅宏実が銀メダル。12年越しの夢を現実にした「父の作戦」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 だが今回はその反省から、前々日まで50kgあった体重を、前日に食事をしないで一気に減量させる方法をとった。「47.8kgならベストだと思っていた」という義行さんの思惑より60gほど低い47.74kgでの試合だったが、許容範囲といえる状態。そのために三宅も「ロンドン入りしてから一昨日くらいまでは不調だったが、やるべきことは全部やってきたという自信もあったからか、試合日である今日が一番穏やかで落ち着いていた」という精神状態で本番に臨めたのだ。

「北京の頃はケガもあって練習が出来なくて、いい時と悪い時の波が非常に激しかったんです。北京五輪も、父にはずっと『196kgで銅メダルを獲れる』と言われていて、実際にその通りの結果だったけど、私はそれを果たすことが出来なかったので。それからの4年間はプレッシャーもあったけど、『同じ失敗は繰り返さない』という思いで、体重を増やして試合をしながら、体の土台作りに励んできたんです。それで200kg以上を挙げられるようになったら減量し、48kg級で勝負するという計画で来て、今日は着実に北京の時よりは力が付いているという手応えを持って試合ができました」

 そんな宏実を義行さんは「最近は1日7時間以上の練習をやれるようになって力はついている。それに色々なトレーニングもできるようになったし、友だちとの会話でリラックスするなど、生活にメリハリもつけられ、精神的にも成長した」と評価する。

「以前は心の中で『銅メダルが獲れたらいいな』と思っていたけど、いろんな人に『金メダル、金メダル』と言われているうちに、自分でも『ここまできたのだから、金を獲って君が代を聞きたい』と思うようになったんです。でも今は何より、12年もかかって遅咲きかもしれないけど、家族と一緒にやってきて、父の銅メダルよりひとつ上げられたことが嬉しいですね」

 伯父・義信の金メダルと父の銅メダルの隙間を埋める宏実の銀メダル。これは父への恩返しであるとともに、重量挙げ一家である三宅家にとっては何ものにも代えがたい勲章だ。

 だが三宅は、「先のことは何も考えていないけど、五輪というのは世界中の人が4年に一度集まる祭典だと思うから。年齢などの限界はあるけど、五輪というのは何回でも出てみたいと思えるような、特別な大会だと思います」と、微妙な発言をした。

 それも結果を出したからこそ思えることかもしれない。だがその心の中には、48kg級でずっと目指し続けていた200kgを実現したいという気持ちも、くすぶっているのかもしれない。

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