「鍵山優真を思うあまり保守的になっていた」。振付師・佐藤操が語る北京への道 (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 能登直/JMPA●撮影 photo by Noto Sunao/JMPA

ローリー・ニコルという振付師

 コーチの立場としてみたら、違う振付師に会ったらもっと面白くなる優真を見られるだろうなというのを感じていました。北京オリンピックに行く可能性はあるなと思った時、ひとりのコーチスタッフとして、『ちょっと急がなきゃいけないな』と思ったんです。2年後に北京に出られる能力があるのであれば、私は残念ながらオリンピアンではないし、オリンピックの選手を手がけたこともない。オリンピックで最高の演技をするのに、私では勉強不足、経験不足だなと。安直かもしれませんが、、経験者にいろいろと聞いてみたいなと私自身が思いました。

――それで五輪メダリストを多く輩出しているローリーさんに白羽の矢を立てた。

「最初に鍵山先生に相談をもちかけました。ローリーの名前は出さずに、そういう経験値のある人のところに私と優真を送ってくれないかという話をしたんです。先生は『僕は佐藤さんに不満があるわけじゃないのに、そういうことを言うのはなぜなんだ』とおっしゃって、話し合いを持つことにしました。そこで先生の許可を得て、優真にも話しました。

 ただ、その直後にコロナ禍となり、ローリーとのコンタクトを取ることも難しく、海外に行くこともできず、リモートという形になったので、鍵山先生もすごく心配されていました。でも、決めたからにはもうやりましょう、どんな苦しくてもやろうと。

 振付師にもいろいろなタイプの先生がいますが、『はい、これかっこいいでしょう。やってみて』というふうにやられたら、たぶん頭がパンクして、彼のよさが出ない。『あなたはどういうことができるの?』とか、『あなたのいいところはここよね』ということを探りながら完成図を描ける先生がいいなと、イメージだけはしていたんです。いろいろな方に聞いたうえで、きっと優真のことを大事に、落ち着いて、でも厳しくやってくれる超一流の振付師は誰かというと、ローリーかなという判断でした。私は今でもそれは正しかったと思っています」

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