「さっとん」こと宮原知子の現役引退に思う。シャイな少女がミス・パーフェクトになるまで (2ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • 能登直(JMPA)●撮影 photo by Noto Sunao(a presto/JMPA)

思い出の試合となった平昌五輪

 アメリカのヒューストンに住んでいた時に、近くのショッピングモールのスケートリンクで滑ったのが楽しくて、4歳からスケートを始めたという。

 2013年にシニアデビューを果たすと、翌年の全日本選手権から4連覇を達成。ポスト浅田真央と期待され、全日本女王として2015年世界選手権で銀メダル、2016年四大陸選手権優勝など、国内外の大会で活躍が光った。武器は豊富な練習量から誇るミスの少ない演技と豊かな表現力。まさに「ミス・パーフェクト」だった。

 この日の引退会見でも思い出の試合として挙げていたが、悲願の初出場となった2018年の平昌大会では、表彰台にあと一歩まで迫る4位の好成績を残した。五輪後にはさらなる飛躍を誓って練習拠点をカナダに移して、2度目の五輪となる北京大会を目指したが、引退を決めた最後のシーズンは、なかなか思い描いた結果を出すことができなかった。それでも、納得のいく演技を取り戻すことができたという。

「だんだんとシーズンを過ごしていくうちにジャンプが安定してきて、少し自分にも自信を持てるようになっていったので、日々の練習のなかで『もうやり尽くしたな』という毎日を1日1日、感じて終えられるように、練習を繰り返していくなかで、なんかもう、満足して練習しているし、あとは試合でやるだけの状態になっている自分もいたので、もういいんじゃないかなという気持ちに変わってきたという感じです」

 会見の終わりには、同じ学年の宇野昌磨が花束を持ってサプライズ登場。世界選手権を初制覇して世界王者になった宇野は「小さいころから知子ちゃんを見て、自分も早くシニアに出たいと思いました。知子ちゃんが満足な終わり方ができていたら嬉しいです。これからもたくさん大変なことがあると思うんですけど、知子ちゃんだったらどんなことがあっても絶対にできると言いきれると思うので、これからも頑張ってください」と、盟友に別れの言葉を贈った。

 引退後のセカンドキャリアについては、プロスケーターとしての活動が最初の目標となるようだ。

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