坂本花織「2度目の大会は自信がある」。北京五輪前に語っていた勝算と下馬評を覆した必然 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 昨年のインタビュー、坂本はそう明かしていた。五輪という舞台の緊張に縛られる。予想はしていたが、思った以上に体は硬直した。

「でも自分のなかで、平昌が終わった時に"4年後はいける"って思ったんです。オリンピックに限らず、初めての試合、たとえばジュニアGPシリーズ、世界ジュニア、(シニアの)GPシリーズとか、一発目(の試合)はその時の精一杯をやっても順位は低いんですけど。2回目って、1回目の経験が生かされるのか、自信を持って滑ることができているので」

 その言葉どおり、北京五輪を戦った坂本は落ち着きを感じさせた。

 まずは団体戦、女子のフリーで2位に入っている。フィギュア団体初のメダル獲得に貢献。1位のワリエワには大きな差をつけられたものの、積み上げてきたプログラムを実直に滑りきってポイントを稼いだ。

 シングルでも、ショートプログラム(SP)では極度の緊張をどうにか制し、ノーミスで3位につけた。フリーでは、解き放たれたようなスケーティングで3位。トータルでも3位に入った。

 SPで1位だったワリエワがフリーでことごとくジャンプを失敗し、坂本が滑り込んだようにも言われる。しかし、その解釈はまったくの的外れだろう。プログラムコンポーネンツはSP、フリー合計でシェルバコワに次ぐ2位。特にフリーのスケーティングスキルは9.46点でトップだった。ジャンプ時代への転換に反逆するかのごとき、雄大で疾走感のあるスケートで、堂々のメダルだ。

「(メダルは)ビックリでした」

 坂本は言ったが、必然の勝利だったとも言えるかもしれない。高めてきたスケーティング技術は、五輪という「魔物がすむ」とも言われる舞台で、むしろ輝きを増していた。SPが79.84点、フリーが153.29点、どちらも自己ベストを記録しているのだ。

〈2度目は強くなる〉

 五輪の女神を味方につけた面目躍如だった。

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