「何が何だかわからず頭のなかが真っ白」と歓喜。荒川静香の金メダルは日本のフィギュアスケート人気に火をつけた

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 だが、トリノ五輪シーズンのGPシリーズは2戦とも3位で、年齢制限により五輪に出場できない浅田真央ら3人が出場したGPファイナルに進出できなかった。それでも全日本選手権3位で、優勝した村主章枝や安藤美姫とともに代表になった。

 五輪本番を見れば、世界選手権で1996年の銅以来、2005年まで金2銀3を獲得し前回のソルトレークシティ五輪で銀のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)が自己最高得点198.06点で優勝候補筆頭。さらに197.60点の自己ベストで世界選手権は2年連続2位のサーシャ・コーエン(アメリカ)もいて、荒川は村主とともに銅メダル候補と見られていた。

【メダルより「最高の舞台に」】

 SPの荒川は連続ジャンプを3回転ルッツ+2回転ループではなく、ルッツ+トーループに抑えた構成とした。1位のコーエンも2位のスルツカヤも同じジャンプ構成で、3人が66点台の0.71点差のなかにひしめく大接戦になった。

 フリーで波乱が待っていた。最終組で荒川の前に滑った第1滑走のコーエンは、最初の3回転ルッツで転倒して連続ジャンプにできず、次の3回転フリップでも着氷で手をつくスタート。中盤は耐えて終盤は勢いを取り戻したが合計は183.36点にとどまった。

「ショート3位でもしかしたらメダルもチラッと見えたかと思ったけれど、余計なことを考えてはいけないと思って。今回はどうしてもメダルをと思って臨んだというより、今までやってきたスケート人生のなかで、最高の舞台にしたい思いのほうが強かったです」

 こう話した荒川は、2004年世界選手権で優勝したあとは競技を引退しプロに転向するつもりだった。大学卒業後は迷いながらも競技を続けていたが、「迷いから抜け出すためにはスケートを楽しんで、達成感を得たい」と考えるようになっていた。そして、この日のフリーは、「この4分間が自分のスケート人生の集大成になる」と思って滑った。

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