「あまり考えずに過ごしてきた」から「夢の続きをしっかり描く」へ。羽生結弦が北京五輪に対する意識の変化を語った (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【五輪3連覇のキーポイント】

 そのキーポイントとしている4回転アクセル。平昌五輪のあとは「次のシーズンには降りられると思っていた」と言う。だが、翌シーズンにはケガを負い、試合に出れば常に結果を求められることもあって4回転アクセルだけに集中できない時期が続いた。「やればやるほど、4回転以降を回ることがどれだけ大変かということを、あらためて痛感した4年間だったんじゃないかなと思います」と苦笑する。

 心のなかには、自分の体の衰えへの気がかりもあった。ソチ五輪のあと、羽生は20代になる自分の体の成長を楽しみにしていたが、その成長が止まった時にどうするのかが重要になるとも語っていた。

「24〜25歳くらいの時に、成長が止まっているなと思った時期がありました。練習でも『フリーの通しができなくなったな』と感じたことがけっこうあった。でもたぶん、今が一番うまいのは間違いないですね。それはトレーニング方法が自分で確立できるようになったり、自分でプランニングをできるようになったから。それで羽生結弦にとっても、フィギュアスケートのトレーニングというものがどういうものかというのを確立できたのが一番大きいと思います。精神的には、『誰よりも練習している、誰よりもうまい、自分が一番強い』と思っていた9歳の頃が一番強いと思います。でも技術的には間違いなく、今が一番強いと思っています」

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