本田真凜、天才だった自分を超える戦い。全日本フィギュアを終え「やっぱりスケートってすばらしい」 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 天才だけの懊悩(おうのう)だろう。できたはずのことができず、不安と違和感を覚え、「練習が足りないから」「競技が好きでないから」と片づけられる。平昌五輪後は一念発起し、アメリカに拠点を移した。2019年には復活の過程で、海外でのグランプリ(GP)シリーズ中にタクシー乗車中に不慮の交通事故にも遭った。そこで思うような結果が出ず、天才は天才であることに縛られ続けてきた。

 それでも、本田は滑り続けている。

 この日も、フリーは華やかさが際立った。プログラムコンポーネンツだけで言えば、11番目に高い点数を弾き出していた。スケーティングの美しさの片鱗だろう。ただ、ジャンプはダブルアクセル+3回転トーループ、3回転サルコウはクリーンに降りたが、フリップは失敗。順位は21位で、トータルも同じ21位だった。2015年、ジュニア時代に飛び級で出場した初めての全日本の9位にも及ばない。

 しかし一周まわって、彼女はスケートの楽しさと再会していた。

「4年前は(重圧で)ひどい精神状態で、ようやく人としての感情を取り戻したというか。当時と比べると、本田真凜という人生を、すごく楽しめているかなって感じます。こういう舞台で久しぶりに滑って、『やっぱりスケートってすばらしい競技だ』って感じて。もっと強くなりたいって、久しぶりに心から思えた大会でした」

 今は生まれ育った関西を離れ、新横浜に拠点を移している。練習に励み、信頼できる先生に師事。「天才」から脱却する時だ。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る