羽生結弦の2013年世界選手権。なぜ満身創痍でも攻めることができたのか

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 その大会、羽生はSP前日の公式練習で右足首を捻挫。夜には患部が腫れ上がってスケート靴も履けなくなり、棄権も考えたという。それでも「初出場で気持ちが舞い上がっていた」というSPは、痛めた右足を氷につく3回転ルッツが1回転になったものの、冒頭の4回転トーループはしっかり降りて7位につけた。そして、フリーで冷静さを取り戻すと、ノーミスの滑りで王者パトリック・チャン(カナダ)に次ぐ173.99点を獲得して2位。合計251.06点で3位表彰台に上がったのだ。

 のちに「あの経験もあったから、(13年の)世界選手権でも何とかできると考えた」と振り返っていたその実績があったからこそ、現状を冷静に分析してスピードや動き、精神をコントロールできたのだろう。18歳でそれをやり切る羽生結弦という選手のすごさを、明確に認識した大会だった。

(つづく) 

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

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