羽生結弦が仲間からもらった「光」。あらためて発見した滑り続ける意味 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 高橋 学●写真 photo by Takahashi Manabu

 出場する選手の中には、そこまでして大会を開催することに複雑な気持ちを持つ者がいても不思議ではなかった。そうした状況で羽生は、大会出場の目的について「第一は五輪の出場枠を獲得すること。そして、健康なまま日本に帰ること」と発言していたのだろう。

「優勝したい」「優勝を目指す」という意気込みを口にすることがはばかられると感じるほど特殊な状況での試合。羽生は大会へ向けてモチベーションを維持するために、4回転アクセルをフリーに組み込むための挑戦を始めた。当初は2月末をリミットとし、1回でも跳ぶことができれば本番で入れる想定でいた。その後、リミットを大会のギリギリまで引き延ばしたが、それは導入への強いこだわりがあったからだ。

 その世界選手権を経て、大阪で行なわれた国別対抗戦も特殊な大会だった。世界選手権が開かれたスウェーデンから帰国後、2週間の自主隔離期間は自宅へは戻らずホテルにこもり、外出は練習時にスケートリンクへ行く時だけ。ここで練習は順調ではなかった。異例の環境での連戦でストレスもあり、体調を崩したこともあったという。それは、得意とするトリプルアクセルの調子を崩したことにも表われていた。

 そして、「誰かの"光"になれるように」との思いを持って臨んだ国別対抗戦。羽生はフリー演技を終えた後、「みんなが光だったなって思います」と、笑いながら言ってこう続けた。

「僕が今回、ショートプログラム(SP)の時もフリーの時も、『ああ、苦しかっただろうけど、頑張ったんだろうな』っていうことを、チームメイトの演技を思ってあらためて感じて......。それがある意味、導きの光のようにすごく、すごく強い力をくれました。先輩として頑張らなきゃと、普通とは違う力をいただけた試合だと思います」

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