髙橋大輔が築いたフィギュアスケート日本男子の歴史。五輪初メダルの記憶 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

バンクーバー五輪で演技する髙橋バンクーバー五輪で演技する髙橋 2月18日、フリースケーティングの演技は終盤に差し掛かっていた。

 スイス人スケーター、ステファン・ランビエールはキスアンドクライで得点を待つ間、ペットボトルの水に何度も口をつけた。心のざわめきを隠せない。そして出たスコアに、無念さから肩をすくめ、こめかみを指でかいた。3人を残し、2位の総合得点だったが、メダル圏内にはギリギリだった。

 ショートプログラムが終わって3位だった髙橋は、その状況でリンクに登場した。スタンドには日の丸の旗が大小いくつもはためき、「DAISUKE」というおなじみのバナーも掲げられる。名前がコールされると、ひと際大きな歓声が上がった。

 髙橋は決然とした表情から目を閉じ、眠りに入ったポーズになっている。イタリアの名作映画「La Strada(道)」のテーマ曲、主人公のジェルソミーナが憑依したか。曲が流れ出した途端、愛嬌と明るさに満ちた顔でステップを踏み始めた。

 そして冒頭のジャンプ、髙橋は4回転トーループに挑み、派手に転倒している。堅実に滑ることで、メダルは十分に射程圏内に入っていた。しかし、彼は立ち向かうことをためらわなかった。

「昔からそうでしたけど、高いところを目指していないと、そこには絶対にたどり着けない」

 髙橋は言う。それは彼の生き方で、スケートそのものなのだろう。

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