羽生結弦は憧れのレジェンドたちへの想いを演技で表現した (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

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2018年8月、インタビューに応じる羽生2018年8月、インタビューに応じる羽生 羽生は、自身にとって大きな区切りとなった平昌五輪をこう振り返っている。

「平昌五輪で優勝することは幼い頃から決めていた人生設計でしたし、自分の中では決定事項だった。ソチに続いての五輪連覇がこれからの人生で絶対に大事になると思っていたし、連覇を背負っていろんなことをしたいと思っていました。その大事な舞台で自分の力を出し切れない状況になったもどかしさはあったけれど、過去も捨てて未来も捨てて、『この時だけ』と集中して結果を取ることがすべてだ、と。だから全力でできたのかなと思います。ノーミスではなかったですが、あれだけのガッツポーズができたのは、あれが自分の最大限だったと思えたからですね」

 五輪シーズンに選んだプログラムの『バラード第1番ト短調』と『SEIMEI』は、勝負を懸けるための選択だった。

 羽生は「何が自分のマスターピースなのか。何が自分の完全体なのかと......。自分にとっての完全体をどうすれば見せられるかということに、すごくこだわってきた4年間だった」と話す。だからこそ、足首の痛みもあった五輪前の苦しい練習でも、「4回転ループを跳べないくらいならお前は五輪へ行くな。自分にそうプレッシャーをかけて、なんとかやってきた」と言う。

「なんとか4回転ループを降りられるくらいにはなった。でも、そのくらいの確率ではプログラムに組み込めない。だから公式練習からプランを組み立てる際にも、自分の感覚だけではなく、周囲の意見もいい意味で自分のために使うことをものすごく考えていました。

 フリーで後半の4回転トーループにコンビネーションが付かなかった時、安全に考えて次のトリプルアクセル+2回転トーループをきれいに跳ぼうとするのではなく、とっさに3連続ジャンプにしたのも、僅差で負けて苦汁を味わってきた経験があったからこその選択だった。それで納得できる演技が最終的にできたのかなと思います」

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