小塚崇彦が「何でもできる」と憧れた
初の4回転ジャンパーの演技

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha
  • photo by AFLO SPORTS

 僕の2008-2009シーズンのSP『テイク・ファイブ』は、佐藤有香さんとサンドラさんが一緒に作ったプログラムです。ただし当時、僕が2008年のスケートアメリカに出る時に、サンドラさんはNBCのキャスターを務めていて、名前が出せないということで、サンドラさんの名前は出さなかったです。

 そのシーズンのエキシビション用として、彼女に最初に振り付けしてもらったのが『セーブ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー(ラストダンスは私に)』でした。僕はこのシーズンに転機を迎えており、僕のよさだったり、僕の持っている技術だったりを、うまくプログラムに取り入れて前面に押し出してくれている感じでした。サンドラさんの振り付けは、選手個々のパーソナリティーをうまく引き出している感じですね。

 そのシーズンのフリー『ロミオとジュリエット』も、彼女に「いましかできないから、いまやりなさい」という感じで勧められたものです。

 僕にとっては「自分の自然体をうまく生かしてくれる」振り付けの先生じゃないかなと思います。選手に寄り添って、「この選手はこういう特徴でこういう性格だから、こういう感じでいこう」というイメージを作る。だからカートさんの『雨に唄えば』や、オリンピック金メダリストたちに作ったプログラムが見事にはまっているのだと思います。

 僕の十八番プログラムといえば、やはり『テイク・ファイブ』かな。一番転機になったプログラムだと思います。音の取り方などが独特で、僕の体の動きに合っていたし、僕のバイオリズムに合っていたプログラムでした。

 髙橋大輔選手の演技が、表現としてひとつの舞台を見せるというタイプなら、僕の場合は、ひとつの楽器となってオーケストラやバンドの一部になるような感覚の演技方法。ジャズのショーを見てもらっているような感じになってもらえばいいなというのがあります。

 いまになってそういう言葉がちゃんと出てきますけど、あの当時は「音を表現する」が僕のテーマだったと思います。この時のコスチュームで思い出に残っていることは、近くのショッピングセンターで買った有香さんのスカートの一部を、金色と黒と白の生地ですが、襟と背中の部分につけたことです(笑)。

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