本田真凜はなぜシニアデビューで失速したのか。早くも迎えた正念場 (3ページ目)

  • 辛仁夏●文 text by Synn Yinha  能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

「練習が行き届いていたら、ジャンプは失敗しても他のもので得点は取れていたのに、全部落とした。まだまだ練習が全然足りなかった。本当の実力が出たと思う。精神的にも技術的にもまだまだ足りないところばかりだった。いい勉強になればいいけど、とにかく練習をしないから、ひとつが狂うと立て直せない。試合を想定した練習もできていなかった。明らかに練習不足だったので、成績が振るわなかったことに驚きはない」

 そんなGP初戦が終わってすぐの中国杯でも悪い流れを変えることはできず、2戦続けての総合5位に甘んじた。

 シーズン当初から「五輪出場が夢なので、それを目指したい」と意気込んでいた本田だが、現実の五輪代表選考レースでは最後尾を走ることになってしまう。GP2大会で結果を出せなかったことで、平昌五輪代表になるチャンスは、最終選考会の全日本選手権で優勝することだけとなった。

 11月上旬の中国杯から12月下旬の全日本選手権までの約1カ月半。本田は「自分なりの練習を納得いくまで積んできた」と話していた。だがその大一番も、ミスが許されないSPでジャンプに失敗して6位発進。巻き返しを図ったフリーでもジャンプに精彩を欠き、ミスを連発してまさかの9位に沈み、総合7位に終わった。

 濱田コーチはこうも言った。

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