浅田真央、笑顔の引退記者会見。
「自分らしさ」を貫いたスケート人生

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 能登直●撮影 photo by Noto Sunao


ソチ五輪フリーを終えた直後の浅田(photo by JMPA)ソチ五輪フリーを終えた直後の浅田(photo by JMPA) 集大成として臨んだソチ五輪のシーズンを、世界選手権優勝という形で終えた浅田は、そこから1年の休養を取る。現役続行の可能性について「ハーフハーフ」と話すなど、去就について悩みに悩んだ末、「平昌五輪に出場する」という新たな目標を掲げてリンクに戻ってきた。

 しかし、心と体は休養前とは違っていた。復帰1シーズン目こそいいスタートを切ることができたものの、徐々に思うような結果が残せない大会が続く。浅田はその時の心境について、「今の女子スケート界はすごい(選手が多い)ので、ついていけるのかなと思うようになりましたし、気持ちや体の面でもつらいことのほうが多くなりました。今シーズンも頑張ろうという気持ちだけでやってきましたが、(昨年12月の)全日本選手権で残念な結果で終わって、『もういいかな』という気持ちになりました」と振り返った。

「全日本の後、しばらくは『平昌五輪に出るという目標をやりとげなくていいのか』という葛藤もありましたが、すべてを出しきれたので悔いはありません。トリプルアクセルに挑戦して終われたことは、自分らしかったかなと思います」

 浅田が追い求めてきたのは、「伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルを跳ぶこと」だった。そんな憧れの存在を指導した山田満知子コーチに師事し、12歳の時に参加した「野辺山合宿」で初めて成功させると、その後はトリプルアクセルが浅田の代名詞となった。

 高難度のジャンプなために失敗も多かったが、2010年のバンクーバー五輪後から指導した佐藤信夫コーチも「アクセルはあなたの生きがい」と理解を示し、勝負技の完成を後押しした。最後の最後までこだわったトリプルアクセルについて、浅田は「自分の強さでもあったと思うんですけど、その半面、やっぱり悩まされることも多かったです。もし、トリプルアクセルに声をかけるとすれば......『なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの』って感じですかね」と笑顔で語った。

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