羽生結弦の全日本4連覇が示す「勝利と記録」を両立させる難しさ (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi 能登直●写真 photo by Noto Sunao

 たしかに、NHK杯も日本開催(長野)ではあったが、羽生自身、スケートカナダでの敗戦の悔しさから、SPはより難度の高いプログラム構成に変更し、それに挑戦することに集中していた。そして、そのSPで106・33点の世界最高得点を出したあとは、自身の中に芽生えた「300点超え」への期待と、のしかかってきた大きなプレッシャーとの戦いに集中するしかなかった。

 その2週間後にバルセロナで行なわれたファイナルは、現時点での世界のトップ6が集結するシビアな大会。戦う相手も得点をつけるジャッジも、NHK杯とは違う。そこではNHK杯の300点台が本物だったことを証明するという戦いが待ち構え、気持ちを切らす余裕はなかった。

 10月下旬のスケートカナダを終えて以来、そんな張りつめた状態で戦い続けてきた羽生が、再び戦いの場を日本へ移した全日本選手権。「これだけ選手層が厚い中での日本一が決まる大会ですから、僕の中では高い位置づけの大会で、重要視している」。羽生はこう言っていたが、今シーズンこれまでが、かつて経験したことがないほど張りつめていたが故に、ここで少し空気が抜けたような精神状態になっていたとしても何ら不思議はない。

 そして、フリー当日の公式練習。羽生は、リンクで村上大介と接触して転倒、周囲をヒヤリとさせた。彼は、ファイナル翌日の公式練習時のように、疲労しきった体を目覚めさせようとするように、無理やりムチを入れてスピードを上げて滑っていた。

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