【髙橋大輔の軌跡】「精一杯やった」。ソチで見せた最後の舞い (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by Noto Sunao/JMPA

 五輪プレシーズンの2012-2013シーズンは、中国大会で2位、NHK杯で2位。グランプリファイナルでは同大会日本人男子初の金メダルを獲得し、ソチへ向けて順調に歩を進めていた。

 だが、2013年に入って、四大陸選手権で7位、世界選手権で6位と苦戦。さらに、五輪シーズンには髙橋に再び試練が襲いかかった。グランプリシリーズ初戦のアメリカ大会で4位。その後、気持ちを切り換えたNHK杯で優勝し、グランプリファイナル進出を決めたものの、大会前に練習で膝を痛めて欠場。ケガが癒えぬまま出場した全日本選手権では5位に終わった。

 それでも、それまでの実績を評価され、髙橋はソチ五輪代表に決まった。そのシーズンの成績や、演技構成点の高さを考えれば、髙橋の選出は誰もが納得するものだった。ソチで4回転を跳ぶことができれば、メダル獲得の可能性は十分にあった。
■ソチ五輪代表選考基準
(1)1人目は全日本選手権優勝者を選考 →羽生結弦が代表に決定
(2)2人目は、全日本2位(町田樹)、3位の選手(小塚崇彦)とグランプリファイナルの日本人表彰台最上位者(羽生)の中から選考 →町田が代表に決定
(3)3人目は、(2)の選考から漏れた選手(小塚)と、全日本選手権終了時点でのワールドランキング日本人上位3名、ISUシーズンベストスコアの日本人上位3名(羽生=293.25、髙橋=268.31、町田=265.38)の中から選考 →髙橋が代表に決定

 しかし、ソチのフリーの4回転ジャンプで失敗。勝利の女神は髙橋に微笑まなかった。だが4回転に失敗しても、髙橋のスケートへの思いは途切れなかった。

「ジャンプがダメなら見せ場は滑り。表現どうこうではなく、精一杯やろう」

 開き直った髙橋の演技から、気負いや雑念は消え去った。

『ビートルズメドレー』の滑りは、静謐(せいひつ)な波となってうねり、観客の心に染み込んでいった。五輪のメダル争いの緊張感にとらわれて力みが出ていた最終組の選手の中でただひとり、髙橋は見事な表現力と、感性の舞いを見せた。そのとき氷上には、あるがままの髙橋大輔がいた――。

ソチ五輪のエキシビションで笑顔を見せる髙橋大輔ソチ五輪のエキシビションで笑顔を見せる髙橋大輔 ソチ五輪の結果は6位。大会後、3月の世界選手権出場を辞退した髙橋は、1年間の競技休養を表明した。そして2014年10月、現役引退を発表。ソチ五輪のフリーが競技者・髙橋大輔としての最後の舞台になった。

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