【髙橋大輔の軌跡】バンクーバー五輪までの険しい「道」で得たもの (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by JMPA

「何があってもまとめられるだろうという感じになってきた」というSPでは、2位の小塚崇彦に12点以上の差をつけて首位発進。フリーで4回転が回転不足になるなど、いくつかミスは出たが、丁寧な演技で完全優勝を果たした。

 しかし、五輪代表の座をつかんだ髙橋は「優勝は嬉しいが、まだ自分の目指す演技ができるまでにはなっていない。堂々と五輪に行ける演技ではないので、ここで喜んでいてはダメ」と気を引き締めた。

バンクーバー五輪で銅メダルを獲得した髙橋大輔。だが、その道のりは平坦ではなかったバンクーバー五輪で銅メダルを獲得した髙橋大輔。だが、その道のりは平坦ではなかった 2回目の五輪となるバンクーバー大会を、髙橋は「メダルを狙う大会」と位置づけて戦い抜いた。4回転ジャンプの感覚はまだ戻っていなかったが、それ以外の問題はほとんどなかった。その状態の良さは、SPの完璧な演技に表れていた。得点は90・25点で、トップのエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)と0・60点差の3位。

「自分は練習してきたんだ、ということだけを信じてできた。得点を見た時にプルシェンコとそんなに離れてなかったので、フリーに向けて変なプレッシャーがなくていいかなと思った」と、髙橋は満足気な表情を見せた。

 2日後に行なわれたフリーは、先に演技をしたSP2位のエバン・ライサチェク(アメリカ)が4回転を回避して167・37点を出し、合計を257・17点にした後の演技となった。

 髙橋は冒頭の4回転で転倒したが、その失敗を引きずることなく、その後はわずかなミスで演技を終えて156・98点を獲得。合計を247・23点にしてその時点で2位につけた。

 その後、SPトップのプルシェンコには抜かれたが、髙橋はついに日本人男子フィギュアスケートで初となる五輪での銅メダルを獲得した(金メダルはライサチェク、銀メダルはプルシェンコ)。

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