【髙橋大輔の軌跡】バンクーバー五輪までの険しい「道」で得たもの (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by JMPA

 再び厳しいリハビリ生活に戻った髙橋は、09年4月上旬には氷上練習ができるまでになった。6月からはジャンプも跳び始め、09-10シーズンに何とか間に合いそうな状態まで回復してきていた。

 リハビリを経て、新たに手に入れたものもあった。故障の一因に足首や股関節の硬さがあったことを知り、徹底的な肉体改造も同時に行なったのだ。「下半身の可動域が広くなり、ステップもスピンもこれまでよりひと回り大きな動きができるようになった」と、髙橋は後に語っている。

 10月のフィンランディア杯で試合に復帰した髙橋は、11月にNHK杯に出場。そこで見せた彼の動きは、以前とは印象が違っていた。ジャンプへの入りはかつてよりもはるかに柔らかく、力みのない動作になっていた。試合はSPで4位発進。逆転を狙ったフリーでは4回転ジャンプだけでなく、他のジャンプでもミスを繰り返して順位を上げることができず、総合4位に止まった。

 長光コーチは髙橋の回復を認めながら、新たな問題についてこう語った。

「今まで以上に(関節が)動くようになった分、それに合ったスケート靴の位置や、エッジの位置も変わっているんです。今はそれがどこなのかを見つけているところ。そういうところが微妙に違うだけで、ジャンプの感覚が変わってしまうんです」

 スケート靴という道具を使って氷の上を滑るフィギュアスケートは、力の入り方などが違ってくれば、スケーティングやジャンプの瞬間の微妙な感覚にズレが生じる。リハビリを経て進化した体を十分に使いこなして最高の演技をするためには、新たな感覚を身につけなければいけない。取り戻すのではなく、「新しい髙橋大輔をつくる」作業が必要だった。髙橋は、バンクーバー五輪までの短い時間で、それに取り組まなくてはいけなかった。

 その後、髙橋は12月のグランプリファイナルにも出場したが、総合5位。いまひとつ波に乗りきれないでいた。それでも、12月末の全日本選手権では底力を見せた。

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