全日本3連覇。羽生結弦が見つめ直したスケーターとしての原点 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi 能登直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

 大会後、羽生は日本に残ってブライアン・オーサーコーチに与えられた厳しい練習メニューをこなして自分を追い込めるだけ追い込み、グランプリファイナル(バルセロナ)では見事優勝して連覇。そして、その2週間後の今回の全日本に出場した。羽生は中国大会からの7週間を、まさに綱渡りのような状態でくぐり抜けてきた。

 捻挫や打撲などの故障をジックリと治すような時間はなかった。2月のソチ五輪で金メダルを獲得し、オフの期間は多くのイベントやアイスショーに出演。そしてすぐに今季への準備に入って大会に出場を続け、ケガやアクシデントを乗り越えてきた。彼の身体には、疲労が蓄積され、溢れ出さんばかりになっていたのだろう。そんなギリギリの状態の羽生を支えたのは、彼の精神力であり、五輪王者としてのプライドだったのではないか。

 ソチ五輪から始まった激動の1年間を、羽生はこう振り返る。

「今年は本当にたくさんのことを経験させてもらったというか、いつも以上に精神的にも肉体的にもいろんなことがありましたが、誰もできないようなことを経験できたと思う。たくさんの課題があって、それを乗り越えるための環境があって、それをサポートしてくれる人がいるという幸せを感じました」

 五輪優勝というのは4年に一度、たったひとりの選手しか経験できないものだ。ソチで勝利しながらも感じた悔しさを、羽生は1カ月後の世界選手権での初優勝につなげた。そして、王者として新しいシーズンに向かうという心構えの難しさも学んだ。

「NHK杯からここまで、コーチであるブライアンと一緒に練習ができなかったというのも、普通のスケーターだったら経験できないことだと思う。そういう経験をたくさんさせてもらいながら、今年最後まで滑りきれたというのが、自分にとっては幸せだったなと思います」

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