【髙橋大輔の軌跡】トリノ後の着実な進化。そして、アクシデント

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by Aoki Koji/AFLO SPORT

「SPで3番だったから挽回しようと思って頭の中で考えすぎた。勉強不足です」

 髙橋はうなだれていたが、それでも10年バンクーバー五輪のメダル獲得へ向けて、着々と準備を整えているのは間違いなかった。

 日本でフィギュアスケートは女子ばかりが大きく注目されていた時代、男子の存在感を引き上げてきたのが髙橋だった。その彼を追う織田や小塚の成長もまた、髙橋の存在があったからといえる。だからこそ、バンクーバー五輪で今までの功績の証として髙橋にメダルを手にしてもらいたい──。周囲の誰もがそう熱望していた。

 だが、07-08シーズンが終わると、髙橋に突然の不運が襲いかかった。ニコライ・モロゾフコーチがライバルの織田ともコーチ契約をしたため、3年間続けてきた師弟関係を解消したのだ。さらに、08年10月末の練習中、髙橋はジャンプの着地で右膝を痛めてしまう。出場予定だった中国大会の欠場を決めて精密検査を受けると、前十字靱帯と半月板損傷と判明。思った以上の重傷だった。

 五輪という大舞台がある09-10シーズンのひとつ前のシーズンでの大ケガ。08-09シーズンをすべて休養することになり、皮肉な運命を恨みたくなる気持ちにさえなった。

つづく

<■変更履歴
(1) 2ページ目4段落目「合計でランビエールを逆転できなかったが」を「合計でジュベールを逆転できなかったが」に訂正しました。
(1) 2ページ目5段落目「ステファン(・ランビエール)には勝てなかったけど、」を「(ブライアン・ジュベールには)勝てなかったけど、」に訂正しました。
事実誤認がありましたことを訂正してお詫びします。ご指摘をいただいた読者の方に感謝いたします。スポルティーバ編集部[2015/1/7 17:30]/u>

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る