【髙橋大輔の軌跡】トリノ後の着実な進化。そして、アクシデント

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by Aoki Koji/AFLO SPORT

 本気で世界トップを狙う意欲を持てるようになった髙橋は、翌06-07シーズン、一気に成長した。初戦のカナダ大会で2位となると、NHK杯ではSPで自己最高の84・44点を出して1位になり、さらなる躍進を予感させた。

「カナダで自分の演技を出し切れなかったので失敗はしたくなかった。4回転を入れた構成ではないので満足というのはないけれど......」

 SP後にそう話した髙橋は、翌日のフリーでは2シーズンぶりに4回転ジャンプを決める完璧な演技で163・49点を獲得。合計でも247・93点にしてNHK杯で初優勝を果たした。そして12月のGPファイナルでは腹痛や吐き気がある最悪な体調ながら日本人男子過去最高の2位となった。

 その後、12月末の全日本選手権で優勝した髙橋は、07年世界選手権東京大会に出場。世間の注目はこの大会で優勝した安藤美姫や2位の浅田真央、3位のキム・ヨナ(韓国)に集中していた。そんななか、髙橋はSPで冒頭の3回転連続ジャンプが乱れて、「今シーズン最低の出来でした」と言うものの3位発進。しかし、フリーでは4回転トーループの着氷で手をつくミスだけに抑えてトップの163・44点を獲得。合計でジュベールを逆転できなかったが、ファイナルに続いて日本男子過去最高の2位になった。

「うれし泣きをしたのは初めて。トリノを経験してからスケートに対する気持ちが強くなった。(ブライアン・ジュベールには)勝てなかったけど、フリー(1位)の小さな金メダルがもらえたのはうれしい」

 こう話した髙橋は、織田信成が7位になって翌年の世界選手権の日本男子の出場枠が3になったことに「これで日本の男子のレベルも上がってくると思うので、貢献できてよかった」と、満足の笑みを浮かべていた。

 そんな髙橋が、さらにその才能を発揮するようになったのは、SPに『白鳥の湖ヒップホップバージョン』を使用した翌07-08シーズンだった。「このプログラムを作る前に、ニコライに連れられてニューヨークのマンハッタンへ行ってダンスレッスンを受けた」という。

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