【髙橋大輔の軌跡】2005年、日本男子フィギュアのエースが泣いていた (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by Noto Sunao/JMPA

 翌日のフリーは、最初に登場した織田がSPと同じように伸び伸びした演技でほぼパーフェクト。合計226・10点でトップに立った。一方の髙橋は、フリーの得点こそ織田を上回る148・60点だったが、合計では223・12点に止まった。

 演技終了後、髙橋は「自分の演技を見てもらうことだけを意識しようと思ったけど、五輪へ行きたいという気持ちを抑えられませんでした......」と話し、流れる涙を「悔し涙です」と説明した。五輪には手が届かなかったと髙橋はあきらめていたが、表彰式終了後に事態が急変する。織田のフリー演技の得点に集計ミスがあったとして変更されたのだ。

 織田は冒頭のトリプルアクセル+3回転トーループ+3回転ループの最後のループが2回転になっていた。そのため、中盤の連続ジャンプの後半の2回転トーループを3回転にした。その結果、失敗した冒頭のジャンプが3回転に挑戦したと判断され、「2回跳べる3回転ジャンプは2種類のみ」というルールに抵触。最後に跳んだ2回目の3回転ルッツが0点になり、当初の得点から7・40点が引かれた。

 この結果、髙橋の全日本優勝が決まった。そして、トリノ五輪出場権をも獲得した髙橋はこう語った。
※最終的にシーズンの獲得ポイント、ベストスコアなどでも髙橋が織田を上回っていたため、髙橋が全日本2位でも五輪代表になる可能性があったが、全日本優勝で誰もが納得する結果となった

「SPでもフリーでもトリプルアクセルを失敗しました。もしちゃんとやっていれば文句なしに勝てていたと思う......。やっぱりそれは自分のミスです。優勝して五輪代表に決まったとはいっても気持ちは複雑で、素直には喜べない」

 初めて全日本選手権を制したとはいえ、それは自分の力でもぎ取ったとはいえないような状況に、髙橋は困惑していた。初の五輪代表をどう受け止めればいいかと考えてしまう迷い、割り切れないような彼の表情が、今でも印象に残っている。

>>つづく

■変更履歴
(1) 2ページ目5段落目の3行目「勝利した選手がトリノ五輪代表となる12月の全日本選手権」を「トリノ五輪出場権争いの最後の試合となる12月の全日本選手権」に訂正しました。
(2) 2ページ目5段落目の下に当時の選考基準を追加しました。
(3) 3ページ目1段落目最後の行にあった「トリノ五輪代表の座は、織田が手にすることになった」を削除しました。
(4) 3ページ目3段落目と4段落目「髙橋の勝利とトリノ五輪代表が決まった。混乱の中でトリノ五輪出場権を獲得し、髙橋はこう語った。」を「髙橋の全日本優勝が決まった。そして、トリノ五輪出場権をも獲得した髙橋はこう語った。」と訂正しました。
(5) 3ページ目4段落目の下に「※最終的にシーズンの獲得ポイント、ベストスコアなどでも髙橋が織田を上回っていたため、髙橋が全日本2位でも五輪代表になる可能性があったが、全日本優勝で誰もが納得する結果となった」と脚注を追加しました。
当時の選考基準について事実誤認がありましたことを訂正してお詫びします。ご指摘をいただいた読者の方に感謝いたします。スポルティーバ編集部[2014/12/22 21:30]

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