【髙橋大輔の軌跡】2005年、日本男子フィギュアのエースが泣いていた (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi photo by Noto Sunao/JMPA

 04-05年シーズン、髙橋は本田とともに世界選手権代表になったが、その大会は2006年トリノ五輪の出場枠獲得がかかった重要な大会だった。髙橋は予選A組6位とまずまずの発進。だが、全日本王者として出場した本田が練習で左足首を捻挫。さらに、予選B組の最初のジャンプで転倒して動けなくなり棄権してしまったのだ。

 突然、19歳の髙橋の背中に、五輪出場権獲得の全責任がのしかかり、トリノ五輪出場枠を2つ獲得するには、10位以内に入ることが必要になった。そんな状況で、髙橋はSP7位と好位置につけたが、フリーでは冒頭の4回転ジャンプが2回転になったうえに転倒。終盤のジャンプも転倒やミスを連発してボロボロの演技になった。

「ショートプログラムまでは何とかやり終えることができたけど、最後は2枠を確保しなければいけないということで、頭の中がいっぱいになってしまった。ウォーミングアップの時から焦ってソワソワしていたし、そのうえ4回転が跳べなくて、余計に焦ってしまって......」

 本田という大きな存在がいて、まだ日本でトップを獲れていない状況。試合後、記者に囲まれて話をする髙橋の表情には、まだ幼さも垣間見えた。髙橋のフリーは18位。予選とショートプログラム(SP)を合計した総合順位は15位になり、トリノ五輪の日本男子出場枠は「1」になってしまった。

 迎えた05‐06年トリノ五輪シーズン。この年から、これまで指導を受けてきた長光歌子コーチとともに、ニコライ・モロゾフコーチの指導も受けるようになった髙橋は、アメリカ大会でグランプリシリーズ初優勝を果たすと、グランプリファイナルでも3位と急成長。そして、トリノ五輪出場権争いの最後の試合となる12月の全日本選手権では、織田信成との激しい戦いとなった。
※トリノ五輪出場代表選手選考基準(このシーズンの女子選手選考基準に準拠)
●04-05と05-06シーズンの成績をもとにその合計ポイントで選考
●04-05シーズンのポイントは、最も多くポイントを獲得した大会の70%が持ち点
●05-06シーズンはポイントを多く獲得した上位2試合と、全日本選手権のポイントで査定
●選手間の点差が10%以内となった場合、ベストスコアなどを勘案して「逆転させる場合がある」としていた。
これをもとにした髙橋と織田、両選手の全日本選手権前のポイントでは髙橋がリード。織田が逆転するには、織田が全日本で優勝して、髙橋が下位で終える必要があった。

 05年3月の世界ジュニアで髙橋に次ぐ日本人2人目の優勝を果たし、このシーズンからシニアに移行した織田は、11月のNHK杯では髙橋を抑えて優勝。グランプリファイナル4位と急成長していた。その織田は、全日本のSPで完璧な演技をして79・90点で首位。それに対して髙橋は、トリプルアクセルでミスをして5・38点差の2位発進となってしまった。

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