「大事なのは......」。鈴木明子から浅田真央へのメッセージ (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro 笹井孝祐●撮影 photo by Sasai Kosuke

──病気を経験したことで、変わったことはありますか?

鈴木 それまでの私は、「できないくせに完璧主義」でした。勝手にハードルを上げて、それを越えられなくて自己嫌悪に陥っていたのです。でも、病気になってからは「まあ、いいか」という部分を残すようにしました。

 18歳までの私はやわらかさがありませんでした。ピンと張ったものだけが強さだと考えていたのです。でも、遊びの部分がないと、もろい。だから、意識して「まあ、いいか」を持つようにしたのです。

──22年間の競技生活は終わりました。今後の目標を教えてください。

鈴木 私は、フィギュアスケートを好きな人をひとりでも増やしていきたい。そのための伝道師になりたいと思っています。オリンピックや世界選手権に出たこと、現役を引退したことは大きな区切りでしたが、長い人生を考えれば通過点にすぎません。競技生活にはピリオドを打ちましたが、体が動くうちはプロのスケーターとして滑り続けます。スケートを通じて、子どもたちに「未来があること」を伝えていきたい。

 そして、私の一番の夢は、世界的な振付師になること。スケートをがんばっている子どもたちに滑る楽しさを伝えつつ、基本的な技術や表現、「演技に心を込めること」を教えていきたいと考えています。

プロフィール
鈴木 明子 Akiko Suzuki
愛知県豊橋市出身。1985年3月28日生まれ。161cm。東北福祉大学卒業。
6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位となり注目を集める。
10代後半は体調を崩し、大会に出られない時期もあったが、2004年に見事復帰。
2009-2010グランプリシリーズ(中国)初優勝で世界のトップ選手の仲間入りを果たす。同年グランプリファイナルでは3位、全日本選手権では2位となり、念願のバンクーバー五輪代表に。2012世界選手権では銅メダル。27歳での世界選手権メダル獲得は日本最年長となった。ソチ五輪代表選考を兼ねた2013-2014全日本選手権では、会心の演技で13回目にして初優勝、2度目のオリンピック切符をつかむ。そして臨んだ2014年のソチ五輪。初めて正式種目となった団体に日本のキャプテンとして出場(5位)。個人戦では、オリンピック2大会連続の8位入賞を果たした。3月の世界選手権を最後に現役引退。4月に初の著書『ひとつひとつ。少しずつ。』(KADOKAWA/中経出版)を出版。
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