元120円Jリーガーが格闘技プロ2勝目。「職業・挑戦者」が明かす次なる挑戦とは

  • 栗原正夫●文・写真 text&photo by Kurihara Masao

41歳でJリーグデビュー

 職業、挑戦者――。

 安彦はそもそも39歳だった2017年夏の時点では、選手のマネジメントや通信制高校の講師などとして働き、約1000万円の年収を手にしていた。だが、一度すべての仕事をやめて、無謀とも思えたJリーガーになるという夢を叶えた。そして、18年からJ2の水戸ホーリーホックで1年、J3のYSCC横浜で2年間プレー。19年3月には41歳1カ月9日で、Jリーグ最年長初出場記録を更新する。そして20年12月のシーズン最終戦後、格闘家への転向を公言し、再び周囲を驚かせた。

 JリーガーとしてはJ3で13試合に出場し、無得点。だが、安彦にとってそんな数字は大きな意味はない。

 Jリーガー時代は、その年齢とともに、クラブからほぼ年俸をもらわなかったことで"年俸120円Jリーガー"として話題を呼んだ。人気バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)にも出演を果たすなど、その生き方はまさしく?激レア"だ。

「Jリーガーを目指したのは、10代の頃に憧れた『プロサッカー選手になる』という人生の後悔を取り戻したいという思いからでした。3年やって、試合に出た試合はほとんど終盤の途中出場で、1点もとれませんでした。それでも、自分なりにやりきった思いはありました。

 格闘家へ転向したのは、誰かと闘いたいとかではなく、社会の停滞感やどんよりとした世の中を打ち壊したいという思いからです。僕の売りはハートや魂で、それを表現するにはサッカーでは限界がありましたし、格闘技ならより表現できると思ったから。実際にリングに上がると、逃げも隠れもできず、そこでオマエに何ができるんだって問われている気がするんです」

 高校卒業後は、カズ(三浦知良)に憧れ、単身ブラジルに渡った。帰国後はJクラブのテストに挑んだが、結果は不合格。選手としての道を断念して、03年から05年にかけては大宮アルディージャでポルトガル語の通訳を務めたこともあった。

 サッカーの聖地・国立競技場には選手としては立てなかった。だが、格闘家に転身し、格闘技の聖地・後楽園ホールのリングに上がる日がきたのだから不思議なものだ。

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