豊ノ島が明かす幕下転落、無給生活、それでも妻は「やめさせない!」。笑顔で振り返る波瀾万丈の相撲人生 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Kyodo News

2年間の無給生活

── 「ようやったな」で言うと、現役時代に三役まで昇進したところからアキレス腱断裂で幕下に転落、2年間の無給生活を経て十両に復帰しました。当時「相撲が大好きだったのに嫌いになりそうで、それがつらかった」という話をされていましたが、相撲を嫌いになりきれなかったのは何が理由だと思いますか。

「いやぁ、若干嫌いだったですけどね(笑)。嫌いというか、もうイヤだっていう。まだ若ければよかったですけど、もう30歳を超えていましたし......大好きで一生懸命やってきた相撲がイヤだなって。自信があったのに、本当にうまくいかなすぎて。それまでがうまくいきすぎていたのもあったのかもしれないですけど、なんでこんなに苦しい思いをしなきゃいけないのかなという気持ちがありましたね」

── 2年はすごく長いですね。

「遅くても半年で戻れるだろうっていう感覚だったんですよ、正直。それが2年ちょっとあったので、長かったですね。自分ひとりだったら間違いなくやめていました。途中で親方に『もうやめます。今場所限りで』という話をして、『わかった』と言われて家に帰ったら、娘に『絶対やめちゃダメだよ』って言われて頑張ろうと。でも、何度も(十両に)戻りそうになったらケガして、戻りそうなになったらケガしてとなった時に、本当に無理だっていうのが何回かあったけど、そのたびに妻が『絶対大丈夫だから』って。こっちが『もうええやろ』となっても、妻が『やめさせない!』みたいな(笑)」

── 三役まで上り詰めた関取が幕下で戦うのはどんな心境でしたか。

「初めて幕下に下がった時、僕は"幕下にいる横綱"くらいの感覚でした。正直、自信しかなかったんですよ。稽古場で関取衆とやっても、全然負けなかったですし。それがおかしなもので、思うように勝てなかったのはプレッシャーでしょうね。対戦相手もやっぱり『豊ノ島だ』っていう感覚で思いきってきます。自分で言うのも変ですけど、こっちは豊ノ島というブランドを着飾って勝負しないといけない。

 その時に本当にすごいなって思えたのは、白鵬関は横綱っていうブランドを着飾って土俵に上がって、ずっと結果を残し続けた。やっぱり勝負に対しての気持ちが強かったんだろうなって。自分には変な自信だけあって、『絶対勝つ』という気持ちの強さが足りなかった。横綱は勝って当たり前の立場でいながらも、勝負に対してすごく貪欲だった。だからこそ、あれだけ長く強い横綱でいられたんだろうなと思いましたね」

── 当時の経験は、いま親方として生きていますか。

「一番大きいのはケガして、そのまま辞めなかったことです。自分がケガしたまま辞めていたら、ケガした力士に『あきらめるな』と言っても、自分は幕内に戻るという結果を残せなかったわけですから。なんとか意地でも上り詰めた経験があるから、その言葉を伝えた時に説得力が出てくるんじゃないかなと思っていますね」

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